自分で決める人生

  年末年始、身内にいろいろなことがあったか、難病で寝たきりということになっている私は、父の見舞以外はキャンセルしてひたすら寝ていた。昨年末に尾張の眼眼科に通院、手術しか無いと決まり、最初に行ったクリニックは設備がなかったので、紹介所をいただき、そちらで施術することになっていたか、持病と白内障は無関係にしろ、眼科では、私の病態が今一つ伝わらず、手術前の検査に至って、国立病院に紹介された。これで紹介所を二回いただいたわけで、地元の給付係にとっては、国の通達の「はしご受診を控える」という項目にひっかかる、と不安になった。

 自分の健康状態よりも、手帳を使っての県外通院に対する給付係の反感が、私の気持ちの中では大きなことで、県外通院する難病患者は医療保険を使い、通院している健常者より、「得している」という言葉が頭にこびりつき、忘れようとしても忘れられない。家族は「そんなことは忘れて、難病をにお金がかかるのだから、助けてもらえるところは頼った方がい」と私も説得する。理屈はその通りだか、不正に給付を受けたと疑われた、その屈辱感が消えず、いらいらして体調を崩した。

 年末につづった己の文書を読み返すと意味がわからない。かなり神経の不和を抱えて、だれに相談してもわからないだろうと思い、ひたすら自分のブログに気持ちをぶつけていたらしい。それに加えて、多くの人が「大したことはない」を軽くおっしゃる白内障の手術が怖くてたまらなかった。今も怖い。

 国立病院を紹介した先生によれば、「このまま放っていくと、どんどん見えなくなる、若く体力のあるうちに手術した方が良い、局部麻酔が我慢できずに動いてしまったら、大変に繊細な仕事なので失明してしまう。どうすればよいのか自分で決めてほしい」
 正直に思った通りのことを言えば、見えなくなっても手術はやめたい。そこで夫から、「この上眼が見えなくなったら、おれの負担が増えるじゃないか」思わず本音が出た感じて口にしたと見えた。自分では、なるべくわがままを言わないように、すぐに物事を頼まないように、不安になっても口に出さないようにしていたつもりだったか、夫が生活に限界を感じていたのを知っていた。けれども、ただ掃除、洗濯をして、コンビニで買って来たお菓子を枕元に置く。それだけじゃないか、心のどこかで私も不満を持っていた。発病前には味は全部私がやっていて、三食、夜食、すべて夫の好みに合わせていた。夫の親戚の冠婚葬祭に出て、夫の両親の通院に付き合い、入院に付き合い、娘の相談相手になり、お金を出し、疲れていた。
 今思えば、もっと自分の時間が欲しかった。こんなに夫に合わせていて、疲れた、苦しいと弱くなることも許されず、頑張ってきて、病気になった途端、私はただの迷惑な存在でしかなかった。
 ダダをこねてもだれも納得しないし、選ぶ余地などないので、国立病院で手術することにした。突然紹介状を持って行くより、下調べして、担当医の当番の日に合わせ、すんなりと決まるように、担当医師にメールを出し、多少事情を説明した。文面からして、相手方は、私の希望が多少は不満だったように感じたし、診察の時も同じように感じた。それでも 一週間入院して、両目を手術することになった。

 気持ちが落ち着き、やっぱり手術はいやだけど、ここで嫌だといってしまえば、医療機関も家族も怒りだすのかわかる。県外で治療して、給付係に領収書を提出したら、「やはりはしご受診をして儲けている」と受け取られそうでいやだ。

 福祉係のあんちゃんが「土岐川さん一人が遠慮したからって、赤字の医療費が黒字に転じるわけではない(だから遠慮しなくてい)」と言って下さったが、私は意地になっている。医療を受けないでいてどんどん悪くなって、意識があるうちに「給付係の、私に対する悪意を素直に受け取って、自分の体がどうなっても、給付係担当者のために、ひたすら耐えた」と言ってやりたかった。そうやって給付係を追いこんでやったらどんなに気分がいいだろう。

 県外の国立病院で手術を受けることになったので、それははかない夢となった。

 今のことは、すべて、私が結婚しても、就職せず、夫に収入を頼って、子供一人しか産まないで、働きながら子育てしている女性より劣っていて、同居しているわけでもないのに、田舎の嫁ぎ先にほんの少し気を使っただけで、すぐに健康を失った気分が悪い、気分が悪い、そう考える半面、生まれた瞬間から、自分で好きなことを選ぶ余地がなかった、親が悪い、兄弟が悪い、地域が悪い、社会が悪い、と本音が出る。
 精神科に通っていた時期、精神の検査で「自己正当化が強い」と診断されたことへの怒りが収まらず、自己正当化さえしなければ、批判されなくなる、と意地を張る。心の底では、自己正当化しない人間がいるのか疑問だ。どんなに自分が悪いと認めても、他人はそんなことは気にしない。いらんことまで、じぶんのせいにしなきゃならなくなっても。