HP時代からツイートまで、ずっと変わらない、「カテゴリ分け」。読書の感想から初めて、随筆風にしたり詩作、掌編を書いたり、今では「レア病」について公然と書いている。 

 素人の批評もカテゴリから入る。こんなの推理小説じゃ無い、時代小説じゃ無い、ファンタジーじゃない。**だからすき、☆☆☆五段階で☆一つの理由がこれ。逆読みでその人の嗜好がわかる。これは性別で分かれる。どんなにジェンダーフェミニズム、その他の理屈をつけても、男女の好みは一致しない。 

 あまりに酷いと感じたときはきちんとメールか掲示板に意見するけれど、大抵ケンカになる。そこは老若男女同じ。 

 ネットでは、無意識にでも他人を否定できない。相手の「すきなものはすき、なにがいけないの」という断り書きに対し、好きな物を強調すると「嫌いな物」の強調にもなるんだよ、と書きたいけれど、きりが無い。 

 思い通りにならないと言い訳する。「別垢」なる物を作って見る人を限定する。アカウントをわざわざ垢にするとすごく卑屈に見える。私はこうなの、と書けば書くほど見苦しい。 

 私も他人のことを言えた義理では無いが、誰かが作った垢というウラアカウントを宣伝しなくとも、黙って別アカウントを作るでも消すでもしたらよろしい、とおもう。文章にするとキツイ感じに見えてしまう。 

 ことにツイートなど、もともと「鳥のさえずり」という意味なので、他人の千差万別な感情を仕分けするほど自分自身が落ち着かなくなる(とおもう。私は垢なんぞないので推察) 

 他人の感情に過剰に反応する、自分の「見られ方」を過剰に意識する。そしてカチンとくると退会するかブロックするか… その行為自体がおのれの見え方を意識しなさすぎる。 

 私は自称ネトウヨ、その反対側の人たちもまんべんなく拝見している。アニメや自然の話もする。ふと気づくと、私はネトウヨよりも右寄りな思考を確認した。日本人は全員中道左派に見える。そして私は中道左派的に物を書く。意図的な行為だ。 

 時代とともに若い人たちが、右左極端で過激につぶやく。そしてすぐ別の話題に移る。ついていけない。 

 病気のことなどを書くとすぐに左派にされる。なんだかレア病という浅くて広く目立つかさぶたで、小さく深い傷を隠しているようよう。ウェブの世界などで「本当の自分」なんぞいらない。