おのれがなにをしたいのかわからん!

 お医者様に期待するあまり、過剰なストレスを先生に与えてしまうのもどうかとおもいつつ、まったく信用しないのも失礼な気がして・・・

 どのスペースに書いても「あかん」気がして、昔のように書くことが楽しくないのです。結局私は、「過剰に」周囲のご機嫌取りで、相手の言葉に敏感に反応して、「いらんことまでやらんでいい」と相手がおもうくらいに、「これでもか」ってアピールしちゃう。

 持って生まれた性質であり、また、社会の中で影響し合ってたどりついた必然でもあります。

 よくもわるくも、「私は特別(不幸)」という自意識の人にかこまれていました。私から見ると、全員普通に見えるんだけど、本人は「フツーになりたい」らしい、普通というのか、十分平凡に見えるのだけれど、・・・まきこまれてしまいました。

 まずは、「フツーじゃない」前提で、「フツーになれない」と悩みもがき、「けど同情されたくない、私はかわいそうじゃない」と私にあたる・・・ネットでも、私生活でも、よくわかんないけど、なにか私に伝えたい人に対して、精一杯合わせて、でも、私が何をしても、本人が気づかないウチは不満だらけのものでして・・・

 そーゆー感情を常にぶつけられて、私もぐるぐるしちゃった。そして、その代表は、私の親きょうだいと友達でありました。

 実家に帰れない。出入り禁止ではないのですが、それと同然の扱いでして・・・おのれはそんなの、普段は忘れている(つもり)なんですが、強いストレスだったんでしょうか・・・

 基本に「人間は他人の幸にも不幸にも嫉妬する」と定義があり、負の感情で当たり散らされたくなくて、上手に機嫌をとっているつもりで、どんなにがんばっても、私のやることが気に入らない人なんて、たくさんいるんだというキモチ。

 たとえていうなら、プロキシサーバ経由でステハンの小心者が、私のスペースにひとことあほなコメント残してゆきます。それだけで「人間なんてこんなものよねー」とこころのどこかで決め込んでしまいます。

 病気になりやすい気質がダメだ←己を責めながら正当化もしている・・・はー、だめだ考えすぎでまとまらない〜

 結局「根性論」なのかなあ。線維筋痛症や強直性脊椎炎って、根性で治るものなのか(以下、半分以上その定義を否定している・・・

 他人に意見されると、否定できずに、必死になって「そのとおりにしよう」とおもう、相手がそれでも不満足なことに怒りを持ってしまう。

 臨床心理技師の先生が「ときがわさんは、そんなに他人に合わせなくてもいい、そんなことをしても誰も満足しない」とシグナルを、何度もしめしてくださっていたのに、わかっていても、できていません。もうカウンセリングしてもらうこともないのだから、自覚しましょ。