記憶

 昨日の朝は、雨が強く、温泉地帯の山奥でも、四時頃には明るくなりますが、水滴で白くまぶしいくらいでした。六時頃、私の家に迷ってきたらしい、女性を保護しました。なんだかやたら、来客の多い家です。虫もけものもひとも。
 認知症らしく、雨に濡れても、ほがらかで、「わたしったら、どうしてここにいるのかしら、年をとるとかなわん(どうしようもない、の意)ね、こんなになっちゃって」

 類似の言葉ばかり繰り返します。タオルで頭や肩を拭いて、靴を脱がせて、内側に記載してあった、名前を確認、青い花模様のブラウスは化繊で、冷たくなっていたので、なんとか脱いでもらうのにも、意思疎通ができなくて、一苦労、ブラウスの内側に名前はありませんでした。靴の内側の名前と、本人の名乗りは一致しました。

 「奥さんは、どこから嫁いできたの?」靴を脱ぐことも、意味がわからなかったらしい彼女に聞きました。私の車いすに座らせて、温かいお茶を飲ませてから・・・すると、今のことはわからないおばあさんも、すぐにお返事してくれます。けっして「おばあさん」と呼んではいけないんです。年をとって頭が弱ったのだとは言いますが、自分が老人であるという認識はありません。
 事実、夫が「ばあちゃんはどこから来た?」と聞いても、ぽかんとします。こういうときは、「奥さん」が妥当なのです。 嫁入り前に住んでいた地名は大抵の女性が言えます。夫に年齢を聞かれて「あら、わたしったらいくつだったのかしら」とおっしゃたけれども、嫁入り前の土地をについて「私もそこに友達が住んでいるの、伊藤さんなんだけど、知ってる?」(嘘)

 ここがポイントなんです。夫は、私の意図がわからず、矢継ぎ早に聞こうとしますが、それは逆効果で、おのれを忘れてしまった女性が、伊藤さんについて考えていると、嫁ぐ前の集落に伊藤さんはいなかったことを「思い出す」のです。伊藤さんという家は無かったこと、昭和五年生まれであることを思い出してくれました。

 夫が警察に連絡している間に、夫のメモを見ると六十歳〜七十歳とあります。「S五年生まれ」と書き足しました。八十歳前後かもしれません。
 女性はしきりとうちに迷惑をかけていることをわびます。
「いいの、いいのよ、靴下も濡れているわ、脱ごうね。」
フローリングに土足で上げたので、タオルで拭きながら、飲み物を勧めて、レンジで蒸しタオルを作って、足をあたためました。

 しばらくして、パトカーが来たので、「よし、これから病院へ行こうね、この人たち(警官のこと)がつれていってくれるよ」と説得しつつ、不審そうな様子の彼女を体でかばいながら、メモの切れ端を警官に渡しました。私ったら手際よすぎーーーー私も嫁いだときに「ひい」ばあちゃんも、嫁いだ「大きい」ばあちゃんも、隣の「おお」ばあちゃんもいましたから〜

 認知症の治療が線維筋痛症にも応用されるというトピックを見たことがあります。通常では痛みに感じない程度の刺激が、異常に強く感じ、全身に疼痛や、体の重みなどを感じることが、この病気だとおもっております。私などは、思い出したくないことが、なにかのきっかけで・・・言葉や場面などからよみがえると、震え、しびれが起きます。逆に好きなことに熱中していると、痛みが無いこともあります。

 昨日の女性と向き合っていたときは、痛みもしびれも重みも忘れていました。介護が得意なのでもありませんが、なんとかしようと思考力が「もがく」とき、なにがスイッチになるのかわかりませんが、症状を忘れます。神経性疼痛となにか関係があるかもしれません。

 私の経験だけですが、徘徊しているおばあさんに、嫁入り前のことを質問すると、100パーセントの女性が「覚えている」のはなぜ・・・