ヘルパーさんを断った

 昨年の春、α県の病院を退院させられて、障害者一級程度に身体能力が衰え、自治体に助けを求めました。市役所も保健所も県庁も、119も、地元総合病院からも、拒否されました。それでも、うちの市には「相談員」という肩書きの職員があり、ヘルパーを頼むために、障害者申請を進められました。それ以後が大変でした。お金も時間も費やして、体力も限界まで落ち、一分一秒、「助けて、助けて」と震えていました。障害者手帳は再検討の書類が来て、先生に頭を下げて、一般的な表現に直してもらいました。「付着部炎による筋力低下」では、うちの県には理解できる人がいなかったのです。書類も郵送されないので、往復六時間かけて取りに行く、という、ものすごい負担を何度も繰り返し、ヘルパーを依頼する権利を得るためにもう一度、診断書を頼んで往復、不備があるたびに、伝書鳩のように自分で動かなければならないので、つらくて手続きをやめようと思いました。
 手帳が認可されたのが昨年の十二月、手帳がきたのは次の年で、今年の夏、ヘルパーを頼む権利を取得しました。先週、社会福祉協議会の人がやってきて、そのまま放置されました。先月、相談員さんに預けた書類も未だにそのままでした。県外の病院だと、領収書を市役所に提出して後から助成されるので、市役所までのタクシー代で赤字になりました。その他書類の手数料などを入れると、助成より自腹の方が負担になりました。郵送でも良いそうですが、自力でポストのある地区まで行けませんでした。
 五月の連休に、具合が悪くなり、はやくヘルパーさんがきて、ベッドまで水を運んだり、蒸しタオルで顔だけでも拭いてもらえないかと思い、福祉課に連絡したら、まだ手続きがされていませんでした。そして、連休中は、散歩の付き添いや、行事に参加するための車いすを押す仕事などが詰まっていて、ヘルパーさんが足りないと言われました。
 散歩できる人、車いすを押してもらってイベントを見学する元気のある人はヘルパーさんは不要だとおもいました。でも、それは全部「老人福祉」で、私は対象外でした。寝たきりで歯を磨くこともできなかった私は、期待しすぎていて気分が落ち込み、六月末に苦しみのあまり救急で市民病院へ行きましたが、ASという病名がついているので、手当てしてもらえませんでした。
 もう限界だと思ったとき、今のセンセからいただいたトリプタノール服用開始によって、かなり「我慢できる」状態になりました。ほんの少しずつ、一日ごとに、良くなったり悪くなったりしながら、全体的に症状が軽くなりました。
 昨日、家人の車で社協の事務所まで出向き、ヘルパーの依頼を取り消しました。障害者手帳も、医師を探して罵倒され続けた日々は終わり、一番助けがほしかった時間は過ぎていました。遠くの病院まで高速道路を使うので、やっとETCの割引ができたときが、最後の診察になりました。市民病院のケースワーカーが言い出した「医療連携」の話を、α県の病院で話したところ、まだ引取先もないのに「今日が最後ですね、医師名を間違えると失礼だからきちんと名前を書くので、調べてください」ということになりました。
 言い出したケースワーカーさんとα県の病院の「連携係」との話が食い違い、何度も電話して疲れ切り、挙げ句に「抗うつ剤を出す病気の人は受け入れません」とメールが来ました。男女二人のワーカーさんがいて、言い出した女性と話ができず、男性のワーカーさんに「急に言われても、こういうことは根回しが大切だから」と嫌味をもらいました。
 市役所に確認すると、上記のような手続きをするケアマネージャーは老人のためのもので、私は対象外でした。