病名はないのか…

 トリプタノールを一回につき20㎎にしたところ、三日目あたりから、今までよりも格段に楽になりました。この薬を飲みはじめて三週間、驚くほどに効いています。あんまり効果があると、あとの副作用が不安になるのは、デパス他のベンゾジアゼピン系の薬物で思い知ったので、ちょっとこわっ。でも、とりあえず、今の私には、苦しみが少しでも軽減される事が一番大切です。
 トリプタノールが効く=繊維筋痛症?と思ったものの、トリプタノールで改善されない症状もあります。個人差なのか、私と同病の人、すべてがそうなのか知りたいので、効果のあったこと、無かったことを挙げてみます。

「楽になったこと」

 横になると足がしびれる/焦燥感/手足全体に広がるしびれが高じた痛み/テレビを観るのも苦痛な疲労感/動いていないと神経のバランスがとれない/横たわるとピクピクからだが飛び跳ねる

「変わらず苦しいこと」

 眠れない/関節の痛み/何か作業して負荷をかけた箇所が「あとから」痛む/鳴り/関節を動かすとボキボキする
 手の「浮遊感」/指先の痛み(シャワーにあたる、指の第一関節よりうえに、とがったものがかすると痛む)

「薬の副作用」

 口が渇く/お腹が張る

 ちょっと書くのが躊躇われるけれども、この際…恥ずかしいけど排泄困難

 大まかにこんな感じです。排泄は、トリプタノールに関係なく、状態が悪いと自覚してからは、ずっと変わらず、繊維筋痛症、強直性脊椎炎、共に共通します。入院していたとき同じ部屋の「おばあちゃん’s」全員そうでした。年齢的に排泄が困難な人もあったと思うけど、入院時に面会させてくれた、同年代の女性も、私と同じでした。「この病院は症状を言うとすぐに薬を打たれる」といって、歩行器でトイレに駆け込んでいました。その方は、私が苦しんでいた、手の違和感をこんな風に話していました。「細かいことができなくなる、薬を配られても、全部ベットの下に落ちてしまう」…私も同じでした。
 この頃、少しだけなら、薬をシートから出せるようになり、お箸を持てるようになり、ケータイ操作もできるようになりました。それまでは、ほんの少しの刺激に耐えられず、食事を取ると疲労して起きていられない、箸ももてませんでした。病院で同室の「おばあちゃん’s」は三食、お箸でしっかり食べていました。太った人ばかりでした。隣のベッドの広東語しかわからないおばあちゃんは、すごく痩せていました。腰を伸ばして仰向けになることができず、看護師と先生に症状を聞かれると「大便不通」と言っていました。病院の人たちは誰もそれがわからないので、隣のベッド、その患者さんの息子さんにメモ帳に書いてもらって、筆談していたので、大体症状は同じだったとおもいます。

 排泄のためにナースコール、食べたあとの歯磨きにナースコールの「おばあちゃん’s」は、お箸も歯ブラシも扱うことができて、食べることも楽しみのようでした。でも、彼女たちは、私のように「軽症だから」と退院させられることはありませんでした。私は食べることも寝ることもできず、入院時には歩けていたのに、車いすで退院しました。

 脊椎炎でも、私とは違う病名の方で団塊の世代らしき女性が、一時期同室でした。話しかけられても苦しいのに、やたらと何でも、私に聞く、看護師さんにも、別の患者さんの病名を聞く、(守秘義務という概念がないようでした)…食事のメニューの選び方とか、この病院の決まり事とか、他県からやってきて緊急入院した私にはわからないことを、私に質問攻めで、カレンダーの近くにベッドがあった私に、日付まで聞く、その時私は、カレンダーを見るために体を動かすことさえ難しいくらいに弱っていました。

 それでも、トイレまでなら歩ける程度でしたが、同室のために彼女たちに使われているうちに、全く歩けなくなりました。自分がどうして、段々悪化していくのか、その時はわからなかったのですが、今思えば、担当のセンセが、早足で私を連れて、同病の人に面会させようとしたとき、バランスを取りながら体重移動でついていく私に、「そんなに速く歩くな、あとで動けなくなる」と言ったことを思いだしました。つまり、「おばあちゃん’s」に頼まれて、動きまわったせいで、自分が全く動けなくなったのでした。

 カーテンで仕切ってポータブルトイレを使っているのに、カーテンを開けて、私が歩ける秘密を聞きたがり、私の排泄の様子をじっと見つめている団塊の世代女性が怖かったのです。どうして私だけパン食なのか、どうしたら変えて貰えるのか、スタッフに聞けばいいのに、私に聞く。私は箸が持てないのでパンにしてもらいましたが、今度は、パンの包みを自力で封切ることができませんでした。そんなことを説明する気力もなく、とりあえず、私の履いている医療用サンダルを実際に履いて貰いました。すると歩行器にしがみついていた彼女は、「あら、楽だわ」といい、歩行器にしがみついていることを忘れて、自力で立っていました。「立っていますね」と返事をしたところ、我に返ったのか、また歩行器にしがみついていました。

 そのことから、リウマチ性疾患は、患者自身の気質により、大きく症状に差が出るのではないかとおもいました。私がトイレの最中なのに、彼女はそのことに気がつかず、自分の気持ちばかり優先してしまう。それは、膠原病科病棟の前に入れられていた、外科の大部屋も同じでした。私が居ないと、トイレまで探しに来てドアを開けてしまうおばあちゃんもいました。県民性なのか、世代なのかわかりませんが、とにかく、ある程度の共通した世界観を持っている…
 トイレ覗きの彼女は、自分の名札が斜めになっていることを気にして、思うように動かない手で、枕元のマグネットシートを触り続けていました。「磁石ですので、自分ではがして治せばいいのでは?」と伝えたところ、やっと意味がわかり、名札を直していました。私であれば、ここまで苦しいと、名札のことや食事の事なんて、全然眼中になく、名前が間違っていようが逆さまだろうが気づかないとおもいます。

 他人のプライバシーを守って遠慮するという感覚が完全に抜け落ちて、それぞれに神経に障ることを解決させようとして、できず、何でも、世代が若そうな私に依存する、私がどんどん弱っても、それは気にしない…神経質なのか鈍感なのかよく分かりません。退院して一年かかって、自宅の室内ならばある程度は動けるようになりました。退院時には一級ほどの障害者に該当していたと、後に、リハビリセンターの先生に言われました。私が杖を持って歩いているのに驚いていました。杖はなくても歩けるのです。杖を持っている方がバランスを失い、歩くのが難しい。でも、ふらっとしたときの支えとして持っています。

 入院先で特効薬として使われていたプレドニゾロンを通院になって、錠剤でもらっていましたが、一度、シートから出した錠剤のケースをベッドの下に落としてばらまき、間違えて二錠(一錠で10㎎)飲んでしまいました。そのとき、点滴しても効果がなかったものが、突然、ラリっている感じに陥り、何処も痛くなくなりました。体がふわふわして、異常な感覚はあるのですが、疲労感や痛みは消えていました。その後、床に散らばって掃除機が食べた分、薬が不足して、体中がおかしくなりました。薬は往復6時間かけて病院の予約日に行かないとありません。その時、デパスノイロトロピン+ブルフェンを同時に飲んで、偶然的に効果があり、その後少しずつ、デパスを減らしています。プレドニゾロンは、通院の人には7㎎しか出さないそうですが、私の場合緊急退院したので、10㎎くださったようです。でも、入院した日に面会したおばあちゃんが、「プレドニゾロンはやめれんよ」とその時は意味不明だった、怖い目つきを思い出し、次にプレドニゾロンをいただいたときは捨てました。そしてその次の予約日の時、この薬を飲んでいないと言いました。

 ステロイドが効く=リウマチと膠原病とリウマチ性疾患、だとしたら、私は偶発的に20㎎錠剤を飲んで効いたので、元センセの強直性脊椎炎という診断は正しいのかもしれません。そして、私は「軽症だから」歩ける。人によりリウマチ気質と言われる神経質なところは差がありますが、私の場合、嫁ぎ先の村社会を再現したような病室の空気から離れ、一人で生活し、ステロイドを一度に多く飲んだことで、異様に体の痛みが消えた…といえます。

 また、入院時に、同室の「おばあちゃん’s」に掌大のぬいぐるみを配りました。「おはよう」と言って、ぬいぐるみを振ると、お互いに寝たきりで顔も見えないのですが、ぬいぐるみの笑顔が見えます。毎日ミッキーマウスの顔を振り合っていたら、和やかになり、手も挙がらなくてうめいていたおばあちゃんも、手が動き、笑顔が出ました。

 環境の改善+ステロイド抗うつ剤、この組み合わせで、何らかの対症療法になる、とおもいました。(長文を打ったので手がイカレたーーー滂沱)