テレビで取り上げられた

 中部地区のNHKで、繊維筋痛症慢性疲労症候群を患う女の子が、読者モデルになり、地元のイベント広報の仕事に挑戦するまでを放送していました。実家に電話して、放送を観てもらいました。
 先日、中日新聞でも、繊維筋痛症の記事が載りました。私は、手が痛いのでページがめくれないため、新聞は取っていません。実家に頼んで、記事を送ってもらおうとしましたが、何回言っても、病名を覚えられず、ひらがなで、「せ・ん・い・き・ん・つ・う・し・ょ・う」とメモしてもらっても、まだ記事を見つけられず、病名も全然覚えられませんでした。
 親でさえ、こんなにも興味がないことを、他人に向けて書いて、伝わるのか、混乱しました。でも、当初からわかって欲しい人など作らないようにと決めていたので、あまり気にしないようにしています。気にすると、全身が痛むのです。

 三十分の番組なので、病気の難しいところはあまり詳しくしないで、「サボっている」と周囲から言われて悩みながら、地方紙とはいえ、「美少女モデル」になった事で、一躍、「他人の思いやりある態度」が現れていく過程を放送しました。

 この番組、町内会の人たちも観てくれていたらいいのに…(笑)私は回覧板に自分の病名と、行事に参加できない身体的な都合を書いて回しました。理解は得られませんでした。ぎりぎり、プライバシーにさわることまで書いて、それでも、自治会長さんから叱られました。

 理由は「病気といって行事に参加しないのに、いつも庭いじりをしている」

 …今夜の番組の女の子も、普段は車いす、家では横になりがちで、クスリが効いている時間だけ、歩ける…その点は同じです。モデルの女の子は「服が好き」だから痛みを堪えて、綺麗な服を着て、笑ってみせる。私は植物を育てるのが好きだから、休みつつ、薬を飲んで調節しながら、バラの剪定をします。ハサミはスプリングで力を入れなくても開くもの、履き物は、医療用サンダル。

 私は本当に、繊維筋痛症なのかしら、と疑問におもいました。番組で、彼女は、床に座っていました。私は座れません。椅子に座るのも苦しい。低反発クッションは必需品で、車いすの時もふたつ、体に当てています。今、パソコンに入力している状態でも、ワゴンの着いた椅子にドーナツ型の低反発クッションを入れています。とにかく全身の関節が安定せず、お風呂にはいっても座れず、手をついて体を伸ばして浮いています。一分もお湯に浸かることはできません。激しく湯あたりしたような状態になります。

 自分でお化粧するのも難しい。細かい作業ができません。ワープロ機能のキイタッチはなるべくそっと、指の面積を多く使います。とがった物にさわると、通常の感覚とは思えない刺激があります。

 番組の中で、彼女は首の後ろの部分に何カ所も麻酔を打っていました。喉の脇あたりにも。私は首を動かすと、一瞬動きが止まり、バキッと音がして、また動くようになります。指の関節も同じです。膝も。

 α県に往復六時間かけて通院していたとき、診察時間は短く、薬を変えていく処置もなく、血液検査をしても、リウマチ因子もMMP3も抗核抗体も調べませんでした。二年前の段階で、私のようにリウマチ因子が陽性であれば、強直性脊椎炎ではないはずでした。二年前は、殆どの強直性脊椎炎患者が、「HLA−B27ヒト白血球抗原」を保有する。遺伝的な要素があるといわれていましたが、今は、殆どの患者が「HLA−B27」を保有していないことになっています…。私はこれも陰性だったので、医師から罵倒されたり、ネットで嫌がらせを受けました。

 地元で、次々に医療機関を変えて、全部の病院で病名が違い、「強直性脊椎炎」と診断されるまで一年。私の体はどこかおかしい、と感じ始めてから十年、徐々に悪くなっていきました。通院をはじめた二年前から寝たきり状態になりました。番組の彼女のように、学校で突然倒れてから、全身が痛み始めた、という説明とはかなり違います。

 個人差?…年齢差ぁぁぁぁ(汗+滂沱

 現在、私は、痛み止めと精神安定剤を組み合わせることで、かなり状態が改善されました。地元のペインクリニックの医師は、私を罵倒せず、突然に減薬して離脱作用で倒れても叱らず、きちんと説明し、私の話も遮らず、詐病あつかいもせず、聞きかじりの専門用語を使ってもバカにしないで答えてくれる。

 まだ、今後のことはわかりませんが、やっと、かかりつけのお医者様になってくれる先生に出遭いました。私など、まだ、訪れた医療機関の数は少ない方でしょう。

 マスコミにもっと取り上げて欲しいんです。世論が変わるほどに。自治会の行事をサボる人っていう汚名を返上したい〜(結局それかよ、ヲイ