海馬の記憶

 地元ペインクリニックの先生は、α県からの紹介状を読んで、私の交通事故体験に注目しました。元のセンセが交通事故がきっかけで、強直性脊椎炎になった、と書いたのだと思います。

 十二歳のとき、車にはねられたときのことは、今でもありありと浮かんできて、特別な恐怖心も、ありません。ただ、雨が降っていて、重い曇り空に雨が模様を描き、持っていた傘が浮かんでいる、横っ腹に車が当たった瞬間も、「ぐげっ」と声が出たことも、背中にタイヤが載ったときの「ぐえっ」という音も、全部覚えています。そして「お母ちゃんが、道路を横切るときは車に気をつけなさい」と言ったのに、ひかれてしまって、叱られる、と母への恐怖を感じました。「女の子がひかれたぞ」「どうした」「交通事故だ」と大人の男性の声がして、左手が側溝にかかっていて、誰かに体を引きずり出され、横抱きにされ、うっすらと目を開けると、坂道を父が駆け下りてくるのが見えました。
 救急車を待たず、居合わせた方の後部座席で、父に抱かれて「眠い」と言うと「眠ってはダメだ」と父の声がするのですが、どうしてもうつらうつらして、今日一日のことが、走馬燈のように頭の中をまわっていました。

 α県の先生は、「あんたは交通事故の経験があるか」と私に問い、「あります」と答えようとすると、「細かいことはいい」と次々、ご自身の考えをしゃべりはじめましたが、今度の先生は、どんな風に轢かれたか、どんな症状だったかを詳しく聞こうとしました。昔のことで記憶も曖昧、上記のようなことしか覚えていません。半年くらいほぼ寝たきりで自力でトイレにも行けませんでした。高校生くらいまで、腰と足の付け根は痛んでいました。

 地元先生は「何の手当もされずに半年も寝たきりなんて…昔はそうだったかも。キミは多分その時、骨折していたんだよ。人間の自然治癒力ってすごいんだな…」としばらく感慨深げにしてから、「交通事故の痛みが海馬の記憶に残り、トラウマになっている」と言い出しました。

「えっ、PTSDなんですか?本人も訊かれるまで忘れていたようなことが?」と意外なことに驚く私に、「だって、はねとばされて車のしたから引きずり出されたんでしょ。大人に抱えられてトイレに行っていたんでしょ。そんな死ぬような恐怖体験をして、何もないはずがない。」とのたまうーそして続ける。「どうして、今までの医師はだれも、そのことに着眼しなかったのか、そっちの方が不思議です。」

 …私は震災などで死ぬような恐怖を体感た人しかPTSDにはならないとおもっていました。私が忘れても海馬の記憶が残っている、びっくり。だれか、海馬の記憶を見た人がいるんだろうか。「リウマチ」と診断されるまでの、色々な医師の罵倒、「リウマチではない」と診断されて「強直性脊椎炎」に至るまでの、医師たちの怒り、見下したような態度、腹部手術の時の執刀医の暴言などのほうが、交通事故の痛みよりも、ずっと私の神経を傷付けた気がしたのです。

 知りたい。海馬の記憶を見てみたい。先生が言うには「交通事故の時、自然治癒を待ち、手当は受けなかった。そして背骨が再生する段階でなんらかの障害を負った。骨の修復途中でなにも起きないことの方が不思議」
 でも、センセ、都会の有名医師は、電話で話しただけですが、スポーツ整形外科専門の先生でした。「人間は骨が折れても治るんだ。むしろ折れた方が良いのだ、必ず再生して強い骨ができるのだ」ってかなりヒステリックに怒っていましたが…口に出さずに、頭の中で、多くの先生の色々な意見がこだましていました。背骨に少しある変形は、子供の時からあるのですが、今では「老化」ということになっています。そのことを訊くと、「骨の再生途中で異常がでたのでしょう、こどもではあっても、確かに『老化』とも言えるかも」
 生まれたときから刹那に老化していると考え、たしかに、骨折の修復過程でどこかが痛んだままになっていれば「老化」なのかもしれません。医学的には老いることだけが老化ではないのでしょう。

 「痛みの記憶に薬を与えて海馬の記憶を消す=治る」という地元センセの自信たっぷりな態度は、私に大きな安心感をくれました。はじめて、「高校生の時、足を引きずりながらでも元気に歩いていた、その状態に戻してあげる」…泣きそうになりました。