求めるのは安心感

 病名なんて何でも良いので、私は、川の向かいにある個人クリニックに通院しはじめました。しょてっぱから、もらった痛み止めで、目眩のゲロ履きしたが、ひとつずつ試していかないと、わからないので仕方がない。というか、ベンゾジアゼピン系の薬を調べて、もしかしたら、私は難病ではなく、単に、薬の副作用で障害が起きているのではないかと怖くなりました。

 私は、ワケワカメの病気を何でも繊維筋痛症にすることに反対です。繊維筋痛症を否定はしないけど、自分に当てはまるとは考えづらい。症状が当てはまらないのだ。はっきりいって、私は「我慢できないほどの痛み」はない。痛む場所も移らない。ときどき、以上に感覚が鋭くなり、呼吸しても全身に響きます。軽く動いただけで、あとから動けなくなる。常に膝関節が痛く、階段などを下りる、負荷をかけて膝を動かす動きでバキバキと音がします。
 痛いのは主に関節で、小指の関節には骨棘がある。痛むがそれほど気にならない。悩んでいるのは痙攣と、耳の異常と、アロディニア(α県医師説)なのであり、常に「歯が浮いている」ときのような「高いところに立って震えた」ような感覚が、24時間、このまま死ぬまで続くのかと思うと、絶望して死にたくなるって事です。

 全身が有り得ない方向に捻れて、(ええ、スプーンまげの超能力みたいで、笑い話デスとも)その時の痛みは恐怖になって、記憶にとどまり、恐怖で呼吸するのも怖いのです。高熱が出て全身飛び跳ねたり、嘔吐したり…

 これまた笑われた、首の「妖怪小泣きじじいが頭を挽き臼にした」状態、呼吸困難などが苦しいのであり、歩くたびに膝がバキバキ、膝の少し上あたりが常に重く、強直性脊椎炎患者さんの言う「油の切れたロボットになった感じ」っていうのが言い得て妙。

 私は有名医師のだれをも信じません。そして繊維筋痛症と決めつけるのは違うと思うのです。身体表現性障害でもないと思っている。

 たとえ、治らなくても、通わせてくれる病院がある安心があれば、少しは違うのだろうけれども。…また、ずっと「かかりつけのお医者さん」に診てもらって、「わかってくれている」という安心感があれば良いんだけど。医師の助けはアテにできないまま、放り出された状態で、もう医療機関を探す手だてもなく、頼る人もなく、ソーシャルワーカーなんて言う、なーんにもしない人たちのかわりに自分で動いているうちに、何ともならないほど悪化しちゃって、救急で運ばれたときの担当医は、付き添いに治療法を訊く始末でした。

 そして私は、新聞社の難病担当に電話しました。私の意見は採り上げられていませんでしたが、うちの県では80%以上の医師が、病名さえ知りません。マスコミに期待するのは、地元、周囲の理解を得るための宣伝活動なのであり、マスコミが動いて、医療システムが変更になる訳じゃない。そんなのは自明の理。私の代では無理でも、次世代に希望はつなげたいとおもいます。

 あまりにそれぞれ医師の意見が違うので、一々「演説」を聴いていると気分が悪いし、拒絶反応で、ひきつけそう。人間、一人一人常識が違うのに、みんなが自分の常識で私に意見しても、私は精神的な苦痛を感じるだけです。

 …ほんま、うちはようけ、いらん苦労したさけ、外野の五月蠅い世界からぬけさせてもろて、静かになるべく、神経をやすませて、自分を労ってあげたいんですんのん。