突然「最後の診察」に

 地元の、市民病院の相談室で「医療の連携」につて説明を受けたので、そのことを、うちセンセの窓口で質問しました。診察室でセンセに言ってくれというので、「いまはおれがしゃべっとるんや、だまっとれ」と仰るので、チャンスがあれば自分で言います、と返事をし、ちょっと爆笑に。名前を呼ばれて、診察室に入っていったら、センセは上機嫌で、パソに向かって、もう紹介状書いていました。まだ受け入れ先が決まっていないのに。ちゅうか、センセのご高説を信じている医師は、うちの県には一人もいません。誰に紹介状って、わかんないから、「担当医様」という宛名になりました。

 以前私は「担当医様」という紹介状を持っていって、市民病院で、個人医師の名前がないので診察する義務ありません。自分で、インターネットで調べてください」と拒否されて診察料だけ支払ったのですがー

 センセは犬猿の仲の、都会の大学病院医師の名前を言いかけると、過激に反応します。結構面白いです。「あれ(医師のこと)はもう古いから忘れろ。世界の医学は進んでいるのだ。俺は口もきかんし、年賀状だけやりとりしてんのよ」三回ほどその話はしたんだけど、おこちゃまみたい。まだ相談して、受け入れ先を探して徐々にセンセから卒業するつもりでしたが、びっくりするほどあっけない。

 ちょっと悲しい話も伺いました。仙台からいらしたAS患者さんが、仙台に戻り、医師についたら、その医師が物凄くお怒りで、直截先生に文句を言ってきたそうで、患者さんはウチのセンセのところで泣いたそうです。そして仙台に帰り被災なさったそうで…

 最後にこれだけ確認させてもらいました。私は強直性脊椎炎か繊維筋痛症か。答えは強直性脊椎炎。証拠は仙腸骨関節炎。それって余所の医師は否定するじゃありませんか。答え、「余所の医者は骨の見方を知らんのよ」

 センセは敵が沢山いる自覚があって、なんといわれようと私はASだと言い張る。軽症なのに薬が多いと先月は怒って今月は、私が真っ赤に全身塗りつぶした疼痛評を診て、「これはつらいね」といっている… ASにされたことで、地元に通える医師もなくなる矛盾を知っていながら。どちらのソーシャルワーカーさんも逃げ腰。

 医師同士の諍いで、患者が行き場を失い、詐病あつかいされている。もっと現実を知ってよ。東京のセンセが「あの人はアフターケアをしない」という気持ち、ぢつはとってもわかる。一度誰も知らない病名を付けられてしまったら、私は何処にも行けない。話を合わせて、「かかりつけの町医者さん」ができれば、それでいい、それ以上は望まない」と伝え、薬も断りました。リスクのある薬で気を揉むより、薬なんかやめて、毎日のんびり好きなコトして、痛みを人に訴えず、理解を得ようとせず、一人で過ごしたい。

2011年6月15日 18:05