メガネ

 子供のころからメガネをかけている。近視、乱視だ。ところが、メガネがいらないほど視力が落ちた。白内障とは老人がなるものだと思っていた。気分でも覚えていない多くの薬の中にはめに副作用があらわれるものもあるらしい。体の機能ひとつずつ思った通りには使えないようになった。
 頭の回転も悪くなった。物忘れがひどい。私の病気は線維筋痛症だと言い張っていた医師は、
「頭たよ頭、(こめかみに指をさして)頭だから何の薬も効果かない。/体中がね、いきなり80歳のおばあちゃんになったのだよ」
と、繰り返し見た意味の言葉を言い放った。訪れた医師の数だけ見立てがあるので、だれの意見も信用できないが、強直性脊椎という意見のひとが二人、私もその意見にしたかった。**症候群とか症のつく病気だと、医学の世界では「シンドローム」つまりは病気ではない。病気ではないのに医療を受けると医療保険がきかない。それで強直性脊椎炎を選んだ。選ぶ余地がない。先進国で唯一保険制度のないアメリカ同じだ。
 難病になり、何でも寝たきりで、最初は苦しくて何もできないか、慣れてくるとテレビのニュースばかり見た。社会問題は、理不尽で苦しく、考えても何もできないが、トラウマをかきたてるようなドラマやドキュメンタリーよりも見やすい。ストーリーは共感させられやすいが、事実は単なる事実で共感しない。数式を解くように、地政学的な思考のように、自分に関わりが無い。世界のどこかで、戦争や貧困があっても。
 誰の詩だったか「人は遠くのことに涙する」。それは自分と関わりの無い悲しみだから。
 「眼鏡を掛けて世界を見よう」と書き残したのは「二十歳の原点」だったか。
 思うに、「心にフィルター」というメガネを掛ければ、実物のメガネは要らない。「頭だよ頭」とこめかみに指をさして、事実を見なければ良い。医師と本当のことを妨げるのは、「血液検査」というフィルター。便利なメガネだ。罹患者の言葉をこころに刻んで悩む必要も無い。
 血液検査の正常値を理由に「頭だ」と言えば良い。