悲しい格差3

 切なかったことがあった。義父、義母、実母と、次々に白内障を患った。義母は辛抱強く自分でなにもかも済ませてしまうので、介添はらくだったが、母と義父は大変だった。私の地元辺りでは、白内障になっても、リウマチになっても、「まだ見えるウチは」「まだ曲がっていないから」と、完全に見えなくなるまで手術しない、リウマチは骨が曲がってから薬を出す。そして、それまでの愚痴がすごい、斯界に靄がかかる、白いゴミが飛ぶ、手で振り払おうとする、とにかく自分の苦しさばかり言い続ける。義父の場合は、義母になんでもしてもらう。目薬もさしてもらう。嫁だといやなのだ。そして気が弱くてへなへなになる。あまりのわがままに、私が説教すると、あとから義母にあたりちらす。

 相当な気力を持って当たらないと、娘の私も持たない。糖尿病もある母は、三週間ほど回復せず、毎日遠い総合病院へ通い、励ましたり、なぐさめたり、身体を揉んだりさすったり、「見えない見えない」と電話してくるので、毎日病院に通った挙げ句、「あのときはおねえちゃんがよくしてくれた」ことになっていた。

 それも、あえて訂正しない。ただ、知人から、白内障の手術のアフターケアが大切だ、と聞いていたので、退院したら終わる地元の医療が不思議だった。
 手術して、一年しないうちに、再び見えなくなる。医師の所−行くと「トシやでしゃぁない」と言われて終わる。あきらめる。その繰り返し。

 今、私の住まうの市は「健康寿命日本一にして「健『幸』 都市宣言」をしている。健康寿命を延ばすのなら、早めに受診、手当、回復が大切だ。現実には逆のことをしている。

 市民病院を建て替えて、費用がなくて途中で止まり、また再開。白い箱の中に、「早めに手当てして治す医師」はいない。

 私は、手帳を持っているので、県外通院していると、とにかく給付係におこられる。県外通院で、大学病院をハシゴ通院して、健常者より手帳を使い県外の大学病院をハシゴ受診する障碍者が得をしていると言われた。

 それで、遠慮して、激しく痛かろうが、熱が出ようが、全身痙攣しようが、目が見えなかろうが、特定疾患指定のクリニック1軒と決めて、保険を使わないようにしていた。目が見えないことに気がついて、病院へ行ったときは、「メガネ屋へ行け」、眼鏡店へ行くと「医者へ行け」。五年くらい経って、また県外になってしまうのを気にしつつ、名古屋駅近辺で眼科を探した。駅前の大きなビルで診てもらったところ、左右共に白く濁り、特に右は眼球の奧が真っ白で、手術しか道はないとはっきり言われた。それでも、「いやだ」と応えた。先生はぽかんとして、

「はあ〜?」
「手術しても一年しないうちに直ぐ見えなくなるから、今のままで良いんです。市役所の保険給付係も喜ぶし」

と答えたところ、先生には意味が全く通じなくて、隣にいた夫が、過去のいきさつを説明し、それなりに話はわかっていただけた。だが、私は頑として、「いやっ。三人も介護したんだから、術後はどうなるかわかっている」
と言い張った。すると先生は、
「術後も定期的にレーザーで濁りを掃除します」
と説明した。
 つまり、うちの地元では、アフターケアする技術も設備も知識もなかったのだ。うちは発展途上国で、名古屋は先進国だと想った。

 そのクリニックは手術の設備がないので紹介状書くという。そんなことしたら、「ハシゴ受診」にされるやん、と考えたけれど、駅の近くに手術できるところがあったので紹介してもらった。

 日を改めそこで検診して、同じ結果になった。手術の予定を立てるのに、年内は予約で埋まっていて、来年になった。術前の検診や、前日の検診、日帰り入院、術後の検診、二週間目にもう片方も同じことをする。名古屋の人にとって、私の県から通うのはムリとかんじたらしく、
「名古屋へ引っ越せ」
と言われた。発病したとき、県庁の特定疾患係に問い合わせたときも、
「東京の特定疾患なら東京へ引っ越せば〜」
とかるぅく言われた。
(その後、昨年七月一日から全国的に特定疾患となった。その代わり、それまで無料だった難病患者の方々に特定疾患の和増えた分、かなり負担が増えた。私たち新規の特定疾患患者も、自己負担分がある。それでも、現在、国保は赤字、私は社保。)
 似た言葉でも、名古屋の医師には誠意を感じた。 

 ホテルやウイークリーマンションより、「特急しなの」で通院した方が安い。もしかしたら、愛知県内から通うより便利かも知れない。けれど、名古屋で働く人にとって、高蔵寺ニュータウン以北は「山奥」なのだった。

 翌日 六年間、居宅サービスも、外出のサービスも、理由を付けては断られていたが、受診の翌日、社協と福祉課が、私の家に訪れたので、目の受診についてお伺いを立てたところ、「それは必要な通院」ということで、国保係県給付係にも、説明していただけることになった。ついでに、今まで、実費で支払った医療費の領収書も提出した。そのうち、給付のはがきが来るだろう。

 特別に、国保課給付係が意地悪ということでもない。ただ、国が、国民保険料や医療保険料の赤字解消のため、各自治体に出す指示通り、節約しようとしているだけだ。

 県庁の国保関係上司に直接聞いたところ、確かに、県外通院で高額の医療給付を受けている人が、私の住むところにいるという。それを私に漏らすのも、庁舎の人間として、多少の疑問を感じた。「事務方なので」と他の人に回す人も、困るけれど実に役所的で、ある意味立派だ。「では、高額の医療費を給付されている対象の方に、理由や、場合によっては何らかのケアをしたらどうか」と伝えたところ、「それは私の仕事ではない」という。

 でも、だからといって、県外通院の人全員に、給付通知ハガキの余白に色々と条件を付け続けるのはやめてほしいと、二年くらい電話し続けて、やめてもらった。

 元はと言えば、県内にイッパツで診断をあてて治療できる人も、病名を知る人もいなかったのが原因なのだ。保健所の特定疾患担当なのに、昨年七月から国の難病指定になったことさえ知らず、戸惑った声音で
「今からインターネットで調べます。」
だった。

厚労相にも問い合わせたが、相手にしてもらえなかった。政治家に相談したところ、与党は大筋の方向性を決めるだけなので、個々の決まりについては厚労相の管轄だが、個人ではなかなか相手してもらえないと言われた。県庁が国の政令を県なりに解釈して細かいことを決める事務方であるなら、齟齬が生じたとき、私たちは誰に問い合わせたら良いのだろう。

 社保をいやというほど納めて、直接税、固定資産税と取得税と消費税を納めて、国鉄時代の赤字まで名前を付けて給料から天引きされていたのに、難病になった途端、国民ではなくなったように感じた。

 後で電話代の詳細を見て青くなった。「少々お待ちください」の後のメロディを覚えるほど、何回も、何時間も電話していた。

 Mon, December 12, 2016 18:20:18 ameba 3