迷い道

 私には提供できる情報はありません。検索その他で病気の治療法などを探してる方々には申し訳ないことです。私の書き物が魅力をうしない、「切られた」ら、それはそれでしかたがないとです。過去に何回もそういうことはありましたが、いつでもつらいものです。
 でも、私の病気の話にはまだ結末がついていません。自分なりの答えを出すまでは書こうと思います。
 私は、自分では、結構病気がちだったとおもいます。田舎の生まれですし、時代的にも、今のように簡単に医師にかかることはありませんでした。主に自然に治るのを待つことが多かった。親の方は「あんなに医者に連れて行ってやったのに」と言いますが、昔のことですから、現在の豊かさから比べると、あまりにもお粗末でした。僻地に生まれ育ったことも関係あるでしょう。都会のように医療は充実していません。
 それでも生き続けてこられたのは、たぶん私が丈夫だったのでしょう。今のセンセも「あなたはすごく丈夫なの、不幸なのは交通事故のトラウマだけ」と大抵力説、そんなに否定されると、私以外の同類の患者は、余計に悪くなるかも、と感じます。
 誰も病気になりたくないし、病気の不幸を宣伝したくないんです。ただ、病んでしまって、治らなくて、どこの医者でも、ほら吹き男爵症候群扱いされれば、それはつらいことです。

 四回の手術、一度は意識不明で危ないところまでいった経験から考えて、病気になると、自分ではどうにもできない苦しみを境目に、病気に冒されていったのと同じか、それ以上の緩やかさで、ある時点に、目が覚めたら昨日よりも少し楽になっていた、という状態に必ずなります。傷ついた体も、痛みから病んだ心も、ふしぎと、それがあり続けるもので無く、自然に回復していきます。少し回復した後、治りが停滞しても、またあるとき、ふと、目が覚めたら、「あ、少し楽」という時期が来て、寝ていることに飽きて、少しずつ動きだし、力が回復していきます。

 ところが、強直性脊椎炎とか、線維筋痛症などと診断されている病気にかかると、時期的に「あ、楽になった」という転換期に似た気持ちが発生しません。知り合った多くの人が、排泄の困難、不眠、原因不明の痛み、しびれ、こわばり、関節がスムーズに動かない、というような状態になります。一つの症状が治まってくると次の症状が・・・耳鳴りや、気圧の変化で耳がぼわんとなった感じ、などを「強く」「我慢できない」ほどに感じます。また、少し動けると思って動きすぎると、一番負荷のかかった体の部位が激しく痛みます。

 他人にわからない分、困難なことが増えていきます。入院しても自宅にいても、ちょっと考えられないような症状が出て、それを押さえることは誰にもできません。体が痙攣したり、関節がねじれたりもしました。

 それを一つ一つ医師に説明しようと、しなかろうと、医師側は「頭の所為」だと思っていますので相手にしません。それを態度に出さず気長につきあってくれる医師などいません。医師側に伝えたいことは、そんなに患者の痛みを否定していると、ますます悪化しますよ、ということ。わかってもらおうとして、どんどん症状を出すし、ネットで調べたり、過去の病歴を出したりして、どこまでも、医師にわかってもらおう、こうじて、家族にも、ネットで知り合った人にも、なにがなんでも、わかってもらおうとする傾向が出てくるように感じます。

 私は、とりあえず、一時的にでも効果のある薬に出会ったら、あとは医師に症状など言わなくていいとおもいます。わかってもらえなくて、いらいらすると、アドレナリンの分泌が活発になり、交感神経が高まり、自律神経がおかしくなります。

 このごろ、指先の過敏がうすれて、自分でシャンプーできるようになりました。まだ座ると関節が痛いので、クッションになるものをあてて、気分が悪くなるとシャンプーしています。お風呂に入ると、気分転換になりますが、あいにく私は、湯あたりの激しいものになり、湯船につかることはできません。風呂に入った後は、苦しくなって寝込んでしまいます。

 でも、洗髪してすっきりすると、麻薬が切れたような焦燥感や体を縛る緊張感が少しきえる、そのことに気づき、活用することを考えました。

 ハーブの香りのするシャンプー、二十代で大病を患い、四ヶ月の入院生活・・・点滴その他のチューブにつながれて四ヶ月寝たきりだったときにできた、前髪の白髪の束に茶の色をつけたりしました。洗髪した後は、ドライヤーで乾かす気力も無かったのですが、数日間に一度くらいは、部分染めでメッシュにして、形よく乾かすまでになりました。

 昨年の今頃は、寝返りも打てず、箸も持てなかったなんて、嘘のようです。大学病院のASの先生は、「世間に参加しない、嫁家業で気を病んだ主婦」とずいぶん罵倒しましたが、そういうことを癇症に患者にぶつけている医師のストレスも、同病なんじゃないだろうかと考えました。今のセンセのおっしゃるには、私よりも、もっといろいろな薬を飲んで、それでも、ものを考え続けて幻覚症状を出す方も、意外と多いそうです。医師なんてストレスの塊でしょうから当然です。

 私にASの診断をした元センセも、著作の中で、専門外の内科の診察もしていて、当時「ケツゴウシエン」と呼ばれていた線維筋痛症の患者に対し、「そんなことがあるものか」とドクハラしてしまった。そのときの後悔とトラウマが、この病気を研究するきっかけになった、と著作に書いていました。私はどうしても、元センセが好きになれませんでしたが、医者でありながら病気を否定して患者を傷つけたというトラウマについては、想像の域を超えませんが理解できます。立場は違えど、私も親兄弟からの、結婚相手の家族や親戚からの「感情」という化け物に押しつぶされた感覚、・・・また幼いときからの自己否定や実存主義的な考えを突き詰める性格などが、元センセと同じようなトラウマを己に与え続けた気がしています。

 インターネットは控えています。精神によくない。世間の常識に縛られた、よい人間になどなったふりはせず、好きなことだけして、あとはベッドで横になっています。眠剤を飲まないと眠れないので、時々ぴくぴくと痙攣が走りますが、最近、やっとテレビをみるだけの耐力と気力が出て、毎日「仮面ライダー」のDVDを観ています。同じ姿勢で座り続けるのは難しいので、ベッドで楽な姿勢になっています。以前はテレビを観るのも苦しかったのです。

 平成ライダー、大好きなんです^^ 昔のように、私がテレビを観ていると、いきなり、チャンネルをかえる人も、台所に追い立てる人もいません。いい時代になったものです。