厚労省内線1

 市役所も県庁も、病気についての相談はできません。昨年一年、電話をかけまくり、「心の相談」から「難病相談」「特定疾患」、終いには「人生相談」窓口にも電話しました 何処にも該当せず、いろんなところに回されて、最初に電話したところに逆戻りします。

NPO法人に相談したところ、とことん愚痴を聞いてくれるだけありがたいとは思うのですが、私は愚痴を聞いてもらいたいのではなく、医療の手段を知りたいのだと伝えたところ、厚労省の電話番号を教えてくださいました。

 厚労省では、内線1を押すと、「繊維筋痛症」の話ができました。こちらはネットとどころではないのに、厚労省のホームページのことを仰るので、今具合が悪くて、ネットはできないと伝えたところ、電話相手の担当者が、厚労省のホームページをみながら、いろいろと…

 だめだこりゃ、と思い、「繊維筋痛症はなぜ病気として認められないのか」を質問したところ、これがまた、曖昧で、「病気として」という判断は、どの病気にも「認める、認めない」という感覚?は「ない」と仰いました。「つまり何の病気であっても、『病気』であるかないかを判断する概念がないのですか」と質問しました。その返事も曖昧で、こちらも、電話するだけで体調が悪くなりました。

 話の感じでは、どんな病気も、署名活動などは無意味のようです。でも、繊維筋痛症の研究学会はあるので、それに入会している医師のところへ行けと言われました。もう動けなくて、往診してくれるところはないのだと伝えました。「あります」とごり押しされ、厚労省のホームページに記載されている箇所を読めといわれました。

自力は無理なので、県庁に電話して、その旨伝えたところ、5箇所のクリニック、病院を教えて頂きました。そのウチのひとつは大学病院で、もうひとつは大学病院から独立した、元主治医でした… その先生は何を話しても通じなくて、私よりも症状について知らなかったんだけど〜

 とりあえず一番近い市に一件該当クリニックがあり、電話すると留守電。インターネット予約はやってみても、初診だと予約できず、結局指定時間に出向き、それが診察の1時間前で、1時間後に順番が決まり、車で1時間待った挙げ句、きっかり4時でないと電話に出ないし、私の順番は3時間後…そんなに体力が続かないのでキャンセルして戻りました。ガソリン代とETC代の無駄、気力の無駄。

 ただ、前回、高速の券と障害者手帳を見せると減額されるはずのインターに人がいなくて、人を呼び出すのにかなり手間取ったので、そこに車いすマークの呼び出しがつきました。私も他の障害者の役に立ったのかも。

 県庁の難病係にも特定疾患係にも、随分嫌われてしまい、以前は「東京に引っ越せ」と言われましたが、今回は「α県の病院に通院しているなら、α県の医療相談に電話しろ」と番号を教えられて、実行しました。私の他にも同県の患者から相談があったけれども、そういえば病名が同じだったかも」程度の対応でした。つい、「あらー、ここの病院の先生がいちにん者ですから、とさんざん恩に着せられ、著作まで半ば強制的に買わされたのに、たいして有名じゃないんですねー」とポロッ…

 私の他に相談した人は、やはり本を渡されたと言っていたそうです。「買わされた」わけじゃないのか、不明。

 初診の時、「そのうち通えなくなる」と紹介された大学病院はむしろ隣のその病院より遠く、最初に通った日にオーバーワークで倒れたまま今に至っています。乗り換えが多くて、階段の上り下りしすぎたのですね…

 マジでα県にも通えない気がしてきて、できれば地元の病院で痛み止めをくれたらそれで良いのに、生憎、地元の病院には拒否されます。どうせ治らないのだから、なるようになるさ、と開き直っていましたが、治らなくては困る事態が発生しました。区長がどうしても、納得せず、自治活動に参加しろと言って聞かない。いつも留守なのでFAXで事情を説明したところ、「庭で花に水をやっている」というところがカンに障ったのか、奥様が「私は母の車いすを押した経験もあるから」と庭に入ってきて言い出しました。医者にもわからんもんをどう説明して良いのかわからず、説明しようとすると「わからないから」と聞こうとしない。「夫がやっていることなので」と譲らないので、今ならいるんだろうと、電話したところ、区の活動の大切さを力説、参加しない理由を、会合に出て説明しろと力説。会合に出る元気があれば頼まないよ…

 仕方がないので、市役所の福祉課に電話、個人の揉め事には完治しない、一年に何回か弁護士相談をしているので、そっちにいけという…そんなのにいけるなら頼まないってばっっっ 「ここは国も県も市も関知できない独立国か」と暴言しました。「明るい町作り推進係」には前にも頼み、電話しても留守と言われ、今日ならいるから、と、もう一度頼んだところやっぱり留守だったのでしたー。

 とどめに福祉相談員から、「他にも繊維筋痛症の相談があった」と私に相談が来ました。知っている情報は全部教えてあるのに覚えていない。さらに、所属している総合庁舎の他の担当者に、病名さえ伝えていないようで、係に電話するたびに、「繊維筋痛症」と「強直性脊椎炎」の病名を、三回くらい区切ってはなし、漢字を教えるところからやり直し。つ、使えん…

 障害者に対する助成は全国一律ではありません。厚労省の担当に問い合わせたところ、助成の内容も申請の内容も、「自治体に任せている」、東京のことを出して、どうして他県では特定疾患ではないのかを訊かれても、「各自治体に任せている」ので、答える立場ではないそうです。

 私は主治医に4回も診断書を書いてもらいました。会ってもらうだけでも難しい先生なのに、恐ろしくてケースワーカーさんに相談して、そちらから頼んでもらいました。障害者手帳をもらうのに、権威の先生の診断書には不備があって、もう一度書き直してもらうのにも気が引けました。うちの県の医療レベルの低さの所為で(診断書を認定するのは構成所からの委託で主に大学病院の医師なのですが、担当医の書いた内容が理解できず、素人向けに書き直していただきました。恥ずかしい。

 そのとき厚生所から市役所経由で再審査の書類が来て、それには「厚生所所長」と四角い赤い印鑑があるだけで、所長の個人名もサインも個人の捺印もありませんでした。そんな書類、私が属していた社会では通用しません。やはり県庁の出先機関は無知です。公的な書類の書き方さえダメダメ。国の司令から離れて自治自治と騒ぐ県知事は多いけど、こんなやつらが自治などできるのか。

 ヘルパーさんを頼むのにも、障害基礎年金を頼むのにも診断書を書いて頂きました。そのとき、うちの県の国に対する申請書が、α県より細かいと言うことで、ふたたびリハビリセンターで細かく、他力可動域と自力可動域を調べました。私の場合、自力だと動きません。握力右は0、左は1でした。左太ももを計るとき、右よりかなり細くて、リハビリの先生がやたらズボンの上からゆるゆるに計るんで、「先生、右より緩く計ってますよー、めちゃゆるです」とつたえました。若い女性の先生は、「だってこれ細すぎて変なんだもの〜」って…だから実寸よりふとく書くのかテメエ!←心の声「右は39.5なので左もおなじにしちゃおー」(おいこら、本当のことを書けー)自宅で自分の左生足を計ったら、35センチだった…

 その後、歩く動作などを細かくチェック。私はベクトルの要領で歩いているのであり、重力を進む方向に傾けて体重をあずけるので、前にいる先生の肩に手を当ててあるくと他お腹から倒れていきます。そのあと、担当医に圧痛点をおされたら、のたうち回るほど痛くて、「冷やさないように」と注意が。

 前回、「私は季節は関係ない」と主張したので覚えていたのかな。本当に私は夏も冬も状態は同じで、入院してからぐっと悪くなり、そのまま取り戻せない。で、そのことを担当医は知らない。私は医師から聞かれないことは、言わない。医師は私の言葉を聞かない。だから医師は何も知らない。

 市役所でもらった、申請書の内容に、私の現実を表してくれる問説がひとつもない。これは自治体から国の出先機関に出し、国が決定します。だれがその決定をするのかで、障害基礎年金を貰えるのか、別れそう。私の場合、発病のきっかけと症状が、小学生なので、「障害年金」ではなく「障害基礎年金」です。発病したとき保護者がいた年齢だと「基礎年金」です。オバサンになった今、私は完全に不自由な体になりました。

 市役所の年金係に、「ネットで知り合った障害年金の認められた人と認められなかった人の差は、親、婚姻し、扶養家族であるかどうか、一人暮らしであるかどうか、東京の特定疾患であるかどうか、しかありません、話を聞く限り、両者、自活できないほどの病状です。私は夫が居るので、障害者基礎年金は認められないのではありませんか」
と質問したところ、「病名や扶養してくれる家族がいるかどうかは関係ない」と言います。

 α県の病院からはまだ診断書が送られてきません。さすがに今回は郵送してくれるそうです。いつまで待っても送られてきません。一体何処へ郵送したんだろう〜、震災の影響で、書類が行方不明なんだろうか。とりあえず4月からヘルパーさんを頼む権利はできましたが、4月までに予算が決定し、ネットで市のサービスを確認して、予約できる日を調べて、予約できても、うちの市の場合、老人優先で、なかなか順番がこないんです。

2011年3月21日 10:18