トッキーヒッキーの奇妙な引っ越し

私が病名をもらったのは約八年前です。それ以前から自分は他人より体力が無いし、運動神経も鈍い、病になりやすい、慢性的に痛いところがある、などは、十代の頃からありました。私の生家は核家族でしたが、両親ともに田舎の、昔風の、イマドキから見ればきつい家でした。それでなにとはなく、周囲に痛みや苦しみなどを言わない習慣がついていて、結婚後、とにかく毎日がラクというか、どうにかすると「笑う」ことさえありました。精神科では言われなかったけれど、外科の先生などは「それが原因、精神的なもの」と言いますが、私の世代だと私のような躾を受けた人は多いかとおもわれます。

十年前後前の話になります。線維筋痛症を歯科で治す、というものが「流行って」?いました。上手くいった人には会ったことがありませんが、「治った」という人のブログは見ました。在る地区というか地方というか、では歯科で線維筋痛症を治すと教える歯科医の学校があるそうで、近所の歯科でそのことを知りました。そのとき、「ほんとうに歯科で線維筋痛症の治療」をするのかと驚きました。「症」とは「シンドローム」で病名では無い、だから歯科でも線維筋痛症の治療しても良いんだろうか。「医師免許」とか「法律」について考えて、難しすぎて未だによくわかりません。

その頃知り合った方で、歯科治療法で線維筋痛症か悪化、何百万円もつぎ込んで、身動きできなくなり・・・という話を聞きました。お互い絶不調なので、スカイプのアカウントがあったので、それで話しました。それはその人の苦労なのでここではあまり書けません。とにかく、一部の地域で「線維筋痛症」を歯医者さんが治療することに疑問を感じていました。「歯科で病気を治すって違法っぽいと思わなかったの?」「今思えばその通りだけど当時は必死で、西洋医学にいや気がさしていたので、すがりついてしまった。」ということでした。

IPアドレスで個人特定されるからと、代わりに私がその歯科のサイトを見ていました。そしてメールで報告。どうやら「治った」というブログの持ち主は、歯科医の友人らしいのでした。その頃は、多くの人が合宿していたので、患者同士が知り合いだったらしいのです。私はヤフーブログで病気をカミングアウトしたと同時に「AntiN県派」あちらから見れば、こちらがAnti有名大学病院派なのですが、ステハン(用事が済んだら消されるアカウント)で、ものすごく嫌がらせされました。ほかの人には見えない設定で書き込みできるシステムで、自説を熱弁し、私はASではないと書くんです。反論するとアカウントが消えてまた別のステハンで、毎日繰り返されることに疲れました。

それに、線維筋痛症が悪化した人の代わりに、毎日見ていた歯科医のサイトにさりげなく質問を書いていて、その後「線維筋痛症を治療する歯科医」のはずが、別の病名に変わりました。私はブログを引っ越しては、病気のことや趣味のことも書いて、アクセスした人のIPアドレスを検索すると、その歯科医ブログからのアクセスが必ずあるのでした。あら、追われているわ、怪しんでいるなあ、と気づきましたが、もともと誰が見ても良いのがネットの良さなので、あまり気にせず、知り合った人とも自然に離れました。お互いに悪化して、ネットどころでは無くなったのかもしれない・・・

ここ数日調子が悪くて、やはりネットできないんですね、慢性疲労症候群の人が何故か私の書いたことに反論、二ヶ月かかって書いた、という論説、時々あるんですけど、私としては、医学のサイトではないし、異説を主張するためにネットにものを書いているのでは無いので、やたら反論されても、申し訳ないけれど読んでいません。ひとつは、病人が他に目が行かず、必死になった誰への、何の反論か、よくわからない、もうひとつは、私は慢性疲労症候群ではないのでよくわからない・・・ごめんなさい。

今思うのは、歯の治療で、歯をいじると、次の日当たりから、いじった場所から痛み出し、首、肩、と痛みが広がりました。歯医者さんは気を遣ってくださるのですが、どうしても、体調が崩れていきます。

歯の治療で線維筋痛症が治った人のブログで、「楽な格好で寝ていても治らない、着替えてお化粧などして気分を上げると良い」と書いてあったので実行したら、後から倒れました。「私何したのー」と自分でも不思議で、思い当たるのは、「化粧」です。腕を持ち上げて顔にものを塗るわけですから、背筋力も、足の筋肉も使いますね。両手をぶらぶらさせて、地面に対して垂直に、反動なども使って、適度に歩くのと違い、化粧を念入りにすると同じ箇所を酷使してしまうようです。

従って、包丁をにぎり三食作るとか、毎日洗濯物を「ピンチ」または洗濯ばさみで止める、というような作業をすると、利き腕ばかり使いすぎて後から痛み、やがて体全体が痛んできて、痛みが引いた後も、自分の体の重みで動けない、自分なりに理屈をつけるとそうなります。ブログに化粧の話を書いた人は「気持ちの上昇」について言いたかったのでしょう。それに対して異論はありません。

お互いに何も知らない

私にメールをくれる人は、サイトによって差がある。親切な人もあれば、とんでもないのもある。いちばん「とんでもない」のは「返事が来ると思っていませんでした」です。心当たりがある人は安心してください。あなただけではありません。メールに返信しちゃヘンですか?

メールとは返信するものだと思っていました。

難病系統の人は、自分も該当者なのに、病の人のことを「悲劇の主人公」と呼びます。驚愕です。私も難病ですが、劇の中ではない、現実に生きています。で、もっとこまるのは、私が怒らせた相手では無いひとが、その行為について「あのひとがあなたに悲劇の主人公ぶって見せたんですか?」と問い詰めること。

はい?私はそんな嫌な目で人様を見たことはありませんです。心配したり、冗談を書いたり、それだけ。あと、いけないことはいけないと、きちんと言う性格です。本人じゃ無くて私にメールをよこした人が、私に怒るのも筋違い。

そういうひとは、自分の崇拝している相手だけが苦しみ深き病である、と思って偽善を果たしただけに見えました。私は病気掲示板の過去ログを、他人の分まで、自分の責任で維持するような、おばかな病人です。ひとりの人を想っての行為が、他の病者におのれのこころの歪みをぶつけている。

奇妙な場所です。電脳世界は。

メールは個人に出すものなのに、コピペしたり、メール機能があるのにメールは嫌いだから、表でやり合いたい人、他人のことなのに口出しする人。真面目なのにうそっぽい。

もうメールしないでと言ってきたり、メールが来たとおこってつぶやいて、私のことだから名前出して良いよ、と書いたら、「フォロー消してください」ってひとりやふたりでなく、結構いる・・・自分がしたくないことを相手にしろという図々しさに気がつくことがない。どこまでも自分と画面とフォロワーの数しか考えない。

私がその立場になったら、あまりの自己中で自分が嫌いになりそう。それぞれに「自分ルール」があるらしく、他人がそれを犯すと怒るらしいのですが、自分ルールは自分に対しての戒めでしょ?

どうして、私に対してああしろこうしろと書くのか、それを訊くと、私は命令していないと、どうして言えるのか、私に他人の、ひとりひとりの「自分ルール」を悟って接して欲しいの?

私は自分のルールなど持たないし、運営側のルールを守るだけなので、面倒だからフォロー全部消しました。

いつもではないけれども、わりと一貫しているのは、すぐにアカウントを消してログを消すことはしない。管理側にアカウントを消すように言われたときはしたがう。悪いことひとつもしていないのに、アカウント消して入り直せと言われたり、ログインできないように設定されたり。

私ごときにそれだけ強く反応を見せるのは、おのれの後ろめたさを反映しています。少しのやりとりでこれだけわかる。文章とは、なかなかに「自分のわからない自分」を、人様に見せる力がある、とはおもいませんか。

アカシヲノコス

難病経由で知り合った人には、生きた証を求める人が多い。病の当人、それを応援する人、それぞれに一律のファンを持つ、または、同病仲間がいたりします。不謹慎な書き方ですが、病気もある種の「売り」です。私が病についてフツウに話していて、笑いなど盛り込んで、でも、不幸自慢め!と罵られたことがあります。ネット知人は「私は売れるものは病も売るぞ」と言う人も居るので、そういう考え方もあるなあ、と感心しました。どうしても、私の中では不幸を自慢できるとは思えなくて、美人薄命とか、余命幾ばくの恋愛ドラマとか。イマドキたちはそれを「感動ポルノ」と言い放ちます。は?「ポルノ」ですか、えっちなこと?しばらく考えて、自作自演で感動して快感を得る、或いは死別の恋愛に涙して気分が良いこと、かな、と結論づけました。

でも、難病当人としては、バンド活動している、スポーツしている、それがそのまま「肩書き」になってます。真剣そのものです。当然のことながら、「無職」はいやですから、というか肩身が狭いのね。私など「詩人」とか「ネットライター」とか、その他いろいろ書くのです。「主婦」は職業では無いので、なにか「活躍」していないと、時代的にかっこわるい・・・

今、元・相撲部屋のニュースを聞きながらタイプを打っています。相撲部屋なので特殊ですが、女人禁制の相撲の世界で相撲取りを陰で支える女将さん、なんて世間の女は嫌いですよ。有名人同士、相撲部屋の縁者同士ならばそこに馴染むのでしょうが、産め、働け、俺たちを支えろと言われても、女はむしろ、誰かに守られたいもの・・・自立する女、活躍する女性、って私が大人になってから使われています。ごく最近と言えます。

親から離れて、夫にくっつく、わりと自然なことです。よくよく考えれば、見知らぬ親に見知らぬ親族、未経験の夫の仕事、それらを上手に合わせながら、自分らしく生きる、至難の業です。男性が「オトコの仕事」という意識を捨てない限り、「女将さん」はずっと尽くすだけのただ働きで、費用も足りないので工面したり、マジっすか・・・でも、相撲部屋で無くても、靴職人だろうが、サラリーマンだろうが、私の父は工員でしたが・・・とりあえず、有名人の親をもてば「七光り」があって当然、以前に女優と噺家の二世タレントさんが、「父がオレの子供を虐めるなよ」とにらみを利かすことがいやでひねくれてしまった、と言っていたのを思い出します。

難病でバンド活動して、いつ死んでしまうかわからないし、生きていても寝たきりで体はつらくてたまらないし、となれば、手っ取り早くネットで宣伝です。難病の人には「七光り」はないし、もちろん一般の人にも「七光り」なし、何をするにもお金を稼いで生活したいなら、まず仕事、病を得て見えない障害など持っていたら、見えない分、二十四時間テレビ的なショーにもならないのでした。

ちいなちいさなネットの世界、ネットは広いのですが、自分の病に対して理解を示す人、アイコンの顔写真に惚れてくれる人、サイトによって様々だけれども、インスタ映えしてかわいいとか・・・有名元相撲取りさんであれば、けしからん、人生修行だ、としかられそうだけど・・・

スマホの電波だけが生きがいで、おのれと感覚が合わない人に出会うと、なぜか切れてしまう。イキテイルアカシですよ。他人に、うわぁ、超わがまま、ついていけなーい、毒振りまいているぅ、という証を残したいんですか。アカウントを「削除」して何回やり直しても、毒にやられた人は最初の一撃ばかり、振りまいた人の死後もずっと・・・本名も顔もわからないけれど、振りまいた毒だけは本物なので、誰もがふと、何かのきっかけがあれば、死に際にあんなことした人居たよなあ・・・ってよぎるかも。

ZEN

私は「萬草庵」となづけた庭を世話している。社宅の頃から鉢植えだらけ。いつかは日当たりの良いところで、自然の庭で生きたいと思っていました。私が薔薇を作っていると、共感より反感が返ってくる、たかがブログの写真だけれど、通りすがりになにかむかつくコメントを書く人はいるんですが、慣れなくて、悩んでいました。

私は天然なのかバカなのか、自分の何が他人の癇に障るのかわからない。なにか好きなものについて・・・

たとえば「ドラゴンボールクリリンが好きかな」と言うと、「どんなに頑張っても悟空に勝てないところが」云々言い出すの。単純に考えてくれない。

「初登場ではズルしてでも勝ちたい子供、やがて本当に強くなって、それでも威張らないしかわいらしい」そうは受け取らないの。私は勝ち負けで決める世の中が嫌いだから。薔薇の話、中古の元喫茶店に移り住んだ話、私のブログの中身より私に興味を持つ。そして薔薇があるからすごい、「わたしにはできないわ系」になっていく。

山奥の中古物件を格安で買ったと言うだけで、田舎で土地が安いとわかるし、それを言う人たちの方が都会でマンションを持っていたりする。高価な資産を持ち便利なところであれば、私の方がうらやましいけど、一々比べて嫌みは書かない。そもそも思いつかない。

私の会話する相手が樹木だからかもしれません。山があり、夏は熱風が、冬は冷風が吹きすさぶ。山登りで森林限界へ行けば、ハイマツと岩と高山植物しか無いよね。私の住むところは、里山、といえます。東南に南アルプス、東に恵那山、遠く北には御嶽山・・・五月から十月までが植物を愛でる季節、それ以外は、凍る土地が溶けるのを静かに待つ日々。

空き地に一本の木がある。南は暖かく北は日陰、東は緑の葉にとって大切な光を降らせてくれる。「ゼピュランサス」という球根を伯母からもらい、育て方を訊くと「説明に書いてあるとおりに」という。それで「西風を避けて植える」とあるので東に植える。ゼピュロスはギリシャの神様で西風、この花は西風が苦手なのね・・・日当たりが悪くしめったところが出来たら苔を植える、南の日当たりは暑さに強い花を、と続けていくと、上手くいかないときが多いのです。花は言葉を言わないで、ただ枯れます。

枯れるから嫌だ、という人は多いけれども、私は、枯れてきたのを見つけたら、何故、どうして・・・と考えます。樹木は何も教えてくれない。ただ枯れることが唯一の主張です。地球の重力に対してどう伸びるか、何もしていないのに葉が病気になれば、空気、風が通らなくて、人で言えば熱中症かも。根元にプラスチックの道具を置いたら伸びるのをやめられたー、枯れた花を摘まないでいたら、葉っぱにくっついて枯れた、いろいろと失敗しては、何年も育てました。私が樹木に習ったと言えます。

言葉の声なき声に習う・・・少しZENと似ていませんか。漢字の禅ではなく、海外の方々が日本を知ろうとするときぶち当たる、あの「禅」です。曹洞宗などは禅宗じゃないかしら。詳しくなくてゴメン。

今年秋、古い駐車場を少し掘ってもらい、一番日当たりの良いところに植え直しました。鉢植えも勝手に移動されると、風当たりや日当たりが変わり、一気に葉が落ちました。やっと植え終わり、後は少しずつ手入れします。

ものすごい疲労で寝返りも打てないほどでした。それでも、もっと木が育ち、しげるけしきを想うと、わくわく、が、溢れてくる感じ。

この、わくわく、を私の樹木に上げたい
一本の木から、「いつかの森」へ広がるその時

Anti ロングヘアーの人たち

髪の毛が長い人に反感を持つ人っているなあ。私の実母。長い髪は贅沢の象徴と考えていたようでした。実家にお世話になっていたときは、常に短くさせられました。少しでも伸びると、「祐は短い髪が似合う」と言うのです。そして近所の子で、髪を伸ばしている子を「ませている」「贅沢」と言い続けました。それは別段、悪いことない、当時は庶民的感覚でした。

結婚してから髪を伸ばしました。夫がロングヘアの女が好き+一度は長くしてみたい+伸ばしっぱなしだと、美容室代の節約になる。

ある日、なじみの美容室の若い子が「夫が好きだから、って皆言うのよ。色々理由はあげるけれど長い髪が好きな人は、結局長いのが好きなのよ。」と、その言い方が、実母の嫌味な言い方と似ている気がしました。

結婚して、アパートや会社の宿舎へ、母がプチ家出してくる度に、「祐は長い髪が似合う」というので、うんざりして、一度、ベリーショートにしました。もう、短い髪の基準を超えた長さ、刈り上げ。そしたら母は「どうしてそんな頭にしたの」と私に訊きました。「おかあちゃんが『短いのが良い』って言い続けるから切りました。と応えました。それから何も言わなくなったのに、十数年経って、また「祐は短い髪が似合う」と・・・しつこいっ

最近ですが、ネットのテレビ電話でネット知人と話したら、私の長い髪をやたらと気にしている様子。テレビ電話など、自分にライトを当てれば割と綺麗に映るんです、その人は「化粧もおしゃれも何にもしないのが好き」、でも私が化粧をして、つやつやリップで、ラメのアイシャドーで髪は赤い癖毛のロングってところを、ずいぶん気にして、あとあとまでそのことばかり言っていました。情報交換して友達を増やすのが目的のハズが「比較対象」にされました。標高の高い乾燥地帯で必須のリップクリーム、余所ではいらないのか、他人のオシャレ、そんなこと気にしたことねえぞ、そもそも美容院まで行く体力が無いっ、いろいろ考えました。田舎の習慣に慣れきって、よその土地、他人の主義と仲良くするのは、微積分より難解だ・・・

福祉関係者が私を見に来ても「髪が長いね」とこだわるので、きぃぃぃぃっとなりました。障害者を理由にディ・サービスを頼んでいるのに「オシャレする余裕がある」という態度でした。週一のケア、一ヶ月でサービスを打ち切りました。見た目が障害者っぽくないので、私の苦しさが理解できないのでした。ずっとカロリーブロック生活で、自分の作った料理が食べられないので、お手伝いしていただくことになっていましたが、調味料の場所がわからなくて、シールを貼ったのに、家族が別の処に仕舞い置きして探し回ったり、うちの急須はフレンチサーバー、皿や茶碗にバラの模様を見つけるたびに「これ何?」と見とがめられ、オーブンレンジで温めると、使い方がわからなかったり、説明していると疲れ果て食べる気力が無くなってしまうのです。ン十年も前から同じ道具に慣れていたので、それがヘルパーの人には奇妙に思われているのがストレスになりました。

その後ツイッターで「髪の寄付」について知り、私ももう少し伸ばせば寄付できることをおもい、やってみようと決めました。地元の美容院でそのことを話すと、「切ってあげるけど床で拾って」とか「カラーリングは良いのぉ?」「白髪あるけどぉ?」と言ってきました。嫌味なオトコだった。その後別の美容師さんに話すと、私の髪はあまり傷んでいないので使えると言われました。

意味のわからない私に対する反発に怒ってベリーショートにするなんて、もったいない、私もレア病だもの、同じように病気の人のカツラになれたら嬉しい。他人にとって、「便利に使えるトッキー」ではない、自分から役に立つのだ、と考えると、ちょっと社会に貢献できるという満足が生まれました。何事も自分が満足すればストレスは消える・・・

子供として親に仕えたり、嫁として婚家に使えたりするのとは違う感じがしました。純粋に役に立てるというか・・・元々私は、人様の見返りを求めていたわけじゃない。お返しが欲しいのではなく、他人がどう思おうと、自然に、困った人に対して、私の出来ることはしたいとおもうのです。

後数センチでカットです。美容院に問い合わせて、そこでやってくれるなら良し、駄目なら、名古屋の総合医療センター内の美容室でカットしてくれます。目の治療をした場所。ガーゼが取れた日に見つけました。

副交感神経

先週、今週と、所用で出掛けたり、家の壊れたところを直すため、人の出入りが多かったりして、ネットのことはすっかり忘れ、といっても数日ですね。小諸へ行きまして、懐古園など見学しました。駅前の可愛いコーヒーショップでランチもしました。出掛けただけでかなりの疲れ、そのまま回復も難しく、それでも徐々に起きていられるようになりました。

写真など出そうかと迷ったけどやめます。私のブログは同病の方々が多いので、私のすること、多くを、ご自身と比べて浮き沈みしてしまわれるので。「トッキーは出来るのに、私は駄目だ」系の悩みにはまる傾向がありますね、この病気。

アメーバに移り、多くの人に比べられて、ちょっとしんどかったですよ〜。トッキーは○○、私なんか○○だからーーー、系の受け答え、多すぎ。普段からの性格かもしれないけれど、この病気のために、ひとつは、「やりたいことは我慢しない」「サボるときも我慢しない」・・・もうひとつ、自分の芯を信じて、たとえ、受け狙いだとしても「私なんかトッキーと比べて駄目だから」と「思わない」でいると、少しずつ、ほんの少しずつだけど、楽になると感じております。

気になることはさっさとやる。出来ないことはやらない。そして他人と比べない。

私は文章を綴るのが大好きです。絵を描くことも山歩きも好きでした。今は雑文をワープロで打つしか出来ない。今日も、クレーンゲームのようにカメラを落としました・・・PCこわれそう。ヤバイ。マウスは扱えないのでペンタブを、カメラと、レタッチソフトは要る、などと、財布の中身を確かめる日々です。多くのことが出来なくなりましたが、一番好きな「文章を並べていく」ことだけは出来ています。

確かヤフーブログでしたか、パソコンもブログも初心者人に、私の更新速度がすごい、写真の多さがすごい、チャットが早い、何をしてもかかれまくりました。私はパソコン生活に年季が入っておりまして、画像のストックも、随筆、掌編のストックもありました。それを伝えても「それでもすごい、私には出来ない」の一点張り。そういうの、気にしないでね、自分なりの楽しみ方で良いじゃん、私と似たことしなくて良いじゃん。

私の庭はあって、私が世話をしているけれど、借家でぼろアパートの時から、ベランダ鉢植え、みどりのハンドパワーでもこもこしていました。「みどりの手」よく言われました。でも、それが、読む人、見る人の「痛み」に繋がるのなら、私は、不得意だけど、規則正しくのんびり週1更新しようかと悩みました。

ヤフーの方は海岸部にお住まいで、「だから」花が育たない。私の写真を見て鉢植えを買ったけど枯れた、よりによって「サギソウ」なの。高山植物だもの。海辺では育ちません。

そうしていつも「ぷっつん」していらしたの。

「萬草庵」とカテゴライズして、庭の写真など過去に出していて、それは今もさかのぼればあるんですけど、私としては「出来る人です」と自慢したかったのではありません。山奥の中古物件に住んでいる、髪の毛を伸ばしている、その他、全部が「私なんて」と卑下する材料になってしまいました。もしかして、この系統の病になると、そういう神経が働くのかも、と・・・それで前のブログの題名は「交感神経増幅器」にしました。すると、漢字が多い、交感神経がわからない、と誰かが言い出すのよ。

今、自分の手にある大切なもの、それは私と別のものであって欲しい。そして「副交感神経」が働くような、楽しい、慈しみに溢れた「おのれの世界」を手放さないでい欲しい。

               病に苦しむ皆様へ     トッキーより

人は意外と強い

脊椎関節炎を患う人のブログなどを拝見して、「惜しい」と思うことがあります。「写真に仙腸関節の病が出ていない」のに脊椎関節炎と診断され、症状も出ている、治らない、クスリが多い」と書いている人が多いことです。私の病気をAS(強直性脊椎炎)と診断した先生は、一人だけでした。MRIなんて要らない、首の骨を斜めから撮ると「竹様」になった骨がわかる」と言い、私の首のレントゲン写真を見て、「ASに間違いない」としました。そのコピーをいただいて、地元に帰り、総合病院へ行くと、紹介状も写真も、ぽいって放り出し、「あそこかぁー」と吐き捨てるだけ。線維筋痛症とされます。思うに、医師とレントゲン技師と、細かい科に別れる病院へ言っても見分けがつかないのです。私は私の元の先生がすべて正しいとは思いませんが、現実に独立して、地元の女性に手厚い診察をしているようです。全国統一の意見を持った医師はいない。ひとりの患者を、内科も外科も精神科も資格を持っていて、多角的に患者を診る人はいない。レントゲンやCT写真を今の先生に持って行ったとき、まず自分でもう一度検査してASと決めました。前の先生は線維筋痛症も合併していると言っていましたが、今の先生は強直性脊椎炎だけだと言います。レントゲンやCTの結果でさえ、医師によって意見が分かれる。「写真に出ない」と書いている人は、医師が何も出ていないと見ているだけと言えます。MRIなど私は撮ったことがありません。あの筒の中が怖い、音も我慢できません。でも、もともとMRIの検査なしで診断できたので、不要の検査費用を支払ったことになります。ただでさえ、どこの医師も認めず、探す羽目になるので、レントゲンで見分ける医師ばかりになればいいのです。レントゲンだのシンチだの、検査結果が出る前に被爆しそうだと思いました。ひどいときは週単位で血液検査して、腕はあざだらけ。げんなりしていても、やはり紹介されたのでおとなしく検査を受ける、検査を受けて血を抜かれては、精神病にされるけど、精神病って寝たきりになるほど体が悪くなる物なのか、という疑問が出ます。私は何なの。どうしてフツウに生きていられないの、と気落ちして、なにもする気が無く、何を飲んでも目が回るか、戻すか、かゆかゆになるか、眠いのに眠れなかったり、排泄が出来なくなり、眠れなくなり、油の切れた機械のように動きが硬い。そして全身痛い。浮腫む。ベルトコンベアの荷物のように、大量の患者を回し、知らない病気だと断る。そして医師によって判断が違う。自治体も相手にしないし、もう社会からは見だして生きる気力も無くて、死にたいと思っても、死ぬ元気も無かった、今は自己治癒力で動いている、と豪語しています。痛みになれた、重い体になれた、他人にわからなくてもいい、そういう割り切りで、今私は生きています。