平成最後の「イマドキ」を旅

って、いくとこいくとこ、別のサイトに移行するってありですか。もう、余分なことで体力を使いたくないよ。とほほ。ここもブログに移行したんだけど、重くて重くて・・・間に合わない。表示は綺麗なの。綺麗だから使いたいのに、すぐ書くとなると、ダイアリーの方が軽い。そもそもこれもブログじゃん。軽いよ、るんるん。もう下書きじゃ。

今年はツイッターもガンバったの。例によってカテゴライズについて行けず、全部フォローを消した、そしたら相互フォローだけが目的の人はすぐに私へのフォローを消してる。笑っちゃった。どのみち全部ミュートしていた。140字も書けるのに、絵文字しか書けない人とか、一行日記にしている人、全然読みたくないし。細かくフォロワーの数の上下を気にする。他人の悪口。

もちろん、私もその大勢の中の一人なのだろう。あれほど繊細に細かいことを気にしてぶち切れって理解不能botなぜ必要なの。書物の一部をフキが期したからと言って、その一行が必ずしも金言では無いよね。一冊のものの、一部を切り取れば、本来の意味から離れるね。

ツイッターの規約を守れば何を書いても自由なはずなのに、エアリプで皮肉りまくる。理由がじかにレスするとけんかになるからっての、笑ったわ。まあ、そういう人は、ちょっぴりしかいない。

食べ物とか旅先の写真なんて見たくないからさ、だから何っておもう。意地悪する気は無いから放ってるけど、ツイッターって、文字列ユーザーが多いので、特に二次漫画、ピクシヴなどのサイトにすれば良いのに、何故ツイートする。著作権に違反している。巻き込まれたくない。

一番考えたのは「三国志」、元ネタによって、二次小説や漫画のつもりの人、三国時代を書いている歴史小説という認識の人、それぞれにブライドが高くてヘタにお世辞も書けないよ。

正史の三国志からきっちり書くのなら「歴史」、たくさんの三国志ものから発想したなら、それらは全部「二次創作」だよ。著作権切れしている小説が元でも、著作権自体は違反していなくても、パロディーかオマージュになる。

小説カテゴリの人と繋がると、それぞれに好みがあるので、下手なことは書けない。腐女子にあこがれている人、馬鹿にしている人が同居、難しい。

明治、大正、昭和、平成と時代が変わり、某大臣が国会で、パソコンについて何も知らない、と批判を受けている。パソコンなんてやらない方が健康に良いし、パソ知らなくても生きていける。インターネットなんて、アメリカの巨大軍事施設のみでやればいいのであって、大臣を馬鹿にしている人も、それほどのパソコンに通じた人でもあるまい。

なんだかおそまつな出来事ばかりの一年であった。

ふりかえる二

殺意を覚えました。実行しなかったのは、体が弱くなってできなくて、センセはまだ生きていて、独立してクリニックを開設したようです。その頃ですね、「通院していた先生が退職しちゃった、病院ありませんか」の書き込みばかり。少し残して大方消しました。自分でなんとかしようと思わない、何故? ネットで偽情報流すな、と書かれたり、病院どこですかー、と訊かれたり。心の中は波立ち、私の理性は難破船寸前!

人間は勝手だ、人間は信用できない、人間は薄汚い、そんなことばかりおもいながら、ブログできれい事を書き続けました。苦しくて、バラエティーなど診たくも無い、グルメ旅なんて関係ないし・・・でも耳鳴りはひどくて、テレビがしゃべっていないと気が狂う。そんなこんなで、CSのアニメばかり観ました。途中からは、目が白濁して見えていませんでした。点滴はステロイドだったのでしょう。効果が無いと直訴したのでノイロトロピンに変更した。私には黙っていた。訴えてやりたい、元のセンセ。でも難病治療での災難は、訴えの対象外です。どこまでも弱いものを叩く医療制度。

テレビアニメは朝から晩まで血みどろで、『進撃の巨人』でクライマックス。人間が食べられている。良い気分。その後原作に興味が出て、レンタルで読みました。頁を捲る手が痛むので、なるべくアニメが良いんですけど、アニメと漫画は別物なので。痛みを押しても読みたい魅力が何か、自分でもわからない。

紹介先のセンセは朗らかで、すでに同類で埋まっていました。私は車中で横になり順番を待ち、受診して、一年後にずっとねがっていた「ヒュミラ」をいただきました。ヒュミラはすぐ効く、というブログを読んだからです。副作用とか反対運動とか、どうでもいい。薬が効いている間楽ならそれで良い。間質性肺炎になろうが、依存症になろうが、楽になるなら何でも良い。ネットの人たちがわーわー書いているベンゾ系もトラムセットも、ヒュミラが効けば要らなくなる、・・・でも、効果はありませんでした。すぐには楽にならなかったのです。二年ほど、二週に一度打ちました。自己注射なので、自分で加減して打てる。皮膚に穴が空いて針が吸い込まれていくのを見るのは楽しい。多くの人が腹に打つそうですが、私は二の腕に注射していました。上手に手に持たせて、工夫しながら痛点を避け、注射器を押すときの手の不自由さも乗り越えて。しかし、都市部ではその時すでに「ペンタイプ」のヒュミラが使用されていました。東海地区、残り物多いな、でも注射針が見たいな、ペンタイプだとおなかしか打てないし、ボタン式なので打ち始めると加減も出来ない。世の中のぶきっちょなやつらのせいで、でかくて邪魔なペンタイプの注射器になった、怒りまくり。それにみんなが「ヒュミラ何回目」と、打った場所やその後の経過など、細かく記録しているのにも驚きました。私は記録するものも廃棄する袋もいただいていなかったのでした。大変失礼ながら、ヒュミラ何回目と数えている人を、細かい、神経質そう〜と言っていました。独り言ですけど。そっか、記録ノートをつけるようになっていたんですね。私はもう何本打ったかわかりません、気にもしません。

国の指定難病になる以前、県外で高額医療を受け、受領書を市役所に提出して、次の月にその額を振り込む。市役所の担当から「金儲けしている」となじられ、県庁などに不当な発言だと問い合わせすると「実際にそういう人がいるんです」と返される。それでしばらく、自己注射を中断しています。その後指定難病になり、国が支払うようになり、市役所もご機嫌なので再開しました。「あんまり、打ったりやめたりしない方が良いよ」と看護師に言われました。そんなこといってもさ、この県と違うのよ、とひとりごちる。そして、ヒュミラの効果はなくても、毎月の採血の結果は良くなっていきました。

「はやくヒュミラの日こないかなあ」ってよそのブログを拝見して、そういうもんなの?わたしもうええわ、何回目か、どうでも良いし、いらつくわ、おもいました。ごめんなさい。

そとて私は知らないうちに、車いすから滑り落ちることは無くなりました。前より元気。ただ、転びやすくなり、歯医者の診察台から滑り落ち、少しの段差でばったり前に倒れる。文章を打ち終わり、パソを閉じて、立ち上がった瞬間、きりきり腰の筋が・・・ぎっくり腰的に・・・曲がったまましばらく伸びない腰。ボキバキする、この特徴が顕著で、むくみ、しびれる。ああ、やっぱり私は病気だった、っと納得できた・・・かもしれない私。

ふりかえる一

私が、あ、昨日より楽、と思ったのは五年くらい前です。今更ですがアルファベットのN県で、「他県の患者は断るようにしている」と言われ、私の方から遠慮したとき、かなりのストレスでした。「入院しろ」と勝手に決めてしまい、それほど悪くも無く、まだ動けていた(気分としてはかなり苦しい)のに、通院で診察中に決まったのです。着替えもないし、お金もないし、空きベッドも無いの。外科の急ごしらえベッドに入れられて、同室はおばあちゃんばかり。しかも手術あとの入院なので気分は元気な上に、田舎独特の「せんしょう」(僭越に口を出すことで標準語です)で、歩き方や食べ方トイレの回数まで数えて、トイレの中まで様子を見に来る、膠原病科に至っては、カーテンを開けて、私がポータブルトイレで使用中なのに、一方的に話しかけてくるんです。みんな滑車のついた手すりみたいなので移動しているのに、私だけ歩いているから。興味津々なのです。私は他人のことは気にしないし比べない。それに前に捕まって歩くのは良くないと思っています。足を包み込んで安定する靴を履いて、地面と仲良しになる、バランスをとって、体幹をまっすぐに移動する。これは後に大変役に立ちました。ところが、他人のトイレ中に私の履き物を履いて「私はこんな履き物、手に入らないわ」通販で。「やり方がわからんわ、歳やで」じゃ、地元の靴屋で注文すれば。「近所に靴屋が無い」何を言っても私のベッドから離れてくれない。一事が万事で、私はストレスをためまくり、逃げようとして捕まり、無理矢理退院になりました。その時には、おばあちゃん達の幼児をこなしていくうちにヘロヘロ二なり、車いすにもたれることが出来ず、車いすに乗せられるとずり落ちる状態でした。ステロイド点滴は全く効かず、ストレスからか、しびれたり、異痛症がひどくなり、看護師の服がかすると飛び上がるほどの衝撃を感じました。横のベッドからうなり声が聞こえて失神しました。そしてまた通院が始まり、行く度に「他県からは減らしている」云々、センセの愚痴を聞いて帰る。入院時の点滴はノイロトロピンになっておりました。最初からノイロトロピンなのか、途中からそうなったのかは不明です。高額な入院費…私は他の患者の面倒を見たので給与くれ、と思いました。それから三年後に今のセンセに出会ったのですが、それまでは隣町の診療所で、診療所なりの保険点数で、お薬をいただいていました。いろいろと飲むものを変えましたが、どれも駄目で、飲まないものだから大きな袋に貯まり、それを診療所の診察室に持って行って「返します」と言いました。そのようなことで、「最後の最後に飲む薬」と言われ「トラムセット」を服用しました。全身のお肌がかゆかゆになるとか、誹謗された気がしてハルシオンデパスを一気にやめてのたうち回ったり、「断る」と言われた病院へ匍っていき、直訴したり、挙げ句発作を起こして救急車、この地方は、救急車の受け入れを拒否します。なんでかわかりません。「断る」言われた病院に運び込まれて、放置され、家人は医師に「治療法は?」と訊かれました。どん底

それまで無邪気に、病気になったら医者が治してくれる、と思っていた私は、健康だと思っていて、保険料だけ天引きされて、医者に言ったことなど無かった日々を想い、病気になった途端、病院から、市役所から、県から、保健所から冷たくあしらわれる。クレーマーと言われる。ひねくれました。人生初の反抗期だわ。

そして、かゆかゆを花粉症の薬(ステロイドが入っている)を飲んでやり過ごした、そこから、気分的にはかなりの元気になったのです。そしてもう一度県内の病院を回り、診療所で紹介状をもらってまた回り、初診の先生に話して、予約してから別の先生にいちから話す。「かかりつけ」の医師などいなかった健康な人は、病人ひしめく医療界に入る隙間は無いのです。今の行政で、薬を制限し、ドクターショッピングを否定し、紹介状と初診の高額な費用、初診で一日使い、やっと予約する権利ができる、というシステムが、逆に医療費の無駄を作っているのがわかります。

かゆかゆは完治し、広い総合病院は歩くとヘロヘロになるので、車いすで移動し、県内では大きな病院の、名古屋方面から来た脊椎専門医に、「オレならば手帳取り上げる」「車いすなんか要らん」といわれ、『一日待たして予約して三ヶ月目ににやっと診てもらえたのに、診るのでなくて罵倒かよ、私も入院させられたとき手帳が欲しかったよ。今の手帳も正規の申請で取れたのよ』と言いたかったけど、くだらないから紹介状を書いてもらいました。宛先は、N県・・・私を追い出した県へ紹介状を書かれた。N県特有病だな、と考えました。そしてまたとおーーーーーーい元の病院へ行き、センセは、走ってきて、別の県にあるクリニックの一覧を私に見せて「どこがいい?」と言いました。この県じゃ、もう絶対医療機関では相手にしてもらえないと想いました。それで一番近い隣の県を選びました。まだ、そこが引き受けるかどうかもわからないのに、そのまま帰宅するしかありません。そして「紹介状」は別の日に、取りに行かなくてはならない。郵送はしてくれないのです。頼みに行くのに六時間とガソリン代と高速料金、書類を取りに行くのにまた同じことのくりかえし。

かみつく難病難民

掲示板形式は、なるべく改行しないの。私は長文癖だし、箇条書きだと、パソコンの設定によって表記が変わるので、半端な改行が増えて読みづらい。この病の場合、手足にまで病状が出ます。私はスクロールもつらいですね。文章が書けるのは、タイピングだと「押すだけ」で捲ったり、こすったり、掴んだり、つまむ、タップする、それが全部要らないから。順にダウンロードされて容量が多いと、クリックしようとして、目標を謝ってしまいます。「あ、自分で『いいね』にさわったぁ」とか、そんな感じ。文章を打つときも書くときも、姿勢正しく、前傾にならないように、医療用の椅子は手に入らなさそうなので浅く腰掛けて太ももでバランスをとります。すぐに足が痛くなるので、きりの良いところで終わらせて、すぐにリラックスできるようにこころがけます。がちがちに固まるか、「こわばる」のか、表現がむつかしくてわからない方も多いようです。座れないという人もいるし。私は椅子には座れます。その時は低反発のクッションを足しています。「床に足を投げ出して座る」はできません。おしりが痛いし、安定しないので、五分も同じ姿勢は出来ないというか「秒殺」ですね。見た目が何ともないので、車いすに座っていて、因縁つけられたりしていますが、歩いてお出かけは難しい。徐々にヘロヘロになり、最後は身動きできなくなります。慢性疲労症候群の人のブログなどを拝読すると気持ちがよくわかる。私も同じ。一度それを疑われて「シンチ」という検査を受けました。脊髄に放射線を入れて、数時間ごとにレントゲンを撮り、髄液の漏れ、広がり方をみるもので、CTやMRIとは関係ありません。それで、ほとんど髄液が漏れていないので「線維筋痛症」にされました。その先生は髄液漏れの専門家なのでした。そのことをブログに書いて、反論が少し度を過ぎてつらかったことがあります。私の意見では無く、医師の意見なので。私自身は髄液漏れが慢性疲労症候群だとは思いません。思わないのに何故私が反論されるのか、文章がわからないのか、なやんで、それ自体を書かなくなりました。ご自身の状況と違うからと、他人を否定した書き方はしていないつもりですが、時々けんかを売られた、と受け取られる。これはほんとうにつらい。

管理人の悩み

アメーバ「グルっぽ」という掲示板システムが消えるので、代わりに場所を作っている最中です。よくよくスレを建てた人のコメントなどを読むと、混乱してしまいました。ひとつは、「脊椎関節炎」のグルっぽに「強直性脊椎炎の原因」があったり、すでに存在している自己紹介なのに、もう一つ自己紹介があり、自己紹介のついでに自分の心の内を書いてしまう、ということの「繰り返し」が多いことです。なぜ「脊椎関節炎」に「強直性脊椎炎」の話を書く場所を「作るのか」、管理側には混乱の元です。知らない間に、別の病気の話が書かれているのですから。医師によっては、二つの病気を「同じ」と言う方もありました。私はおおまかな「脊椎関節炎」という病気にのひとつに「強直性脊椎炎」がある、と、本を読んで考えていました。さらに強直性脊椎炎でも、指定難病として申請できた人と、その紙切れの基準達しないけれど、指定難病の強直性脊椎炎の人、さらに、強直性脊椎炎ではなく脊椎関節炎と診断された人、そしてそこに「線維筋痛症」が併発している人。

読む人も混乱するし、患者同士でも、「じゃ、わたしはどーすりゃいいのー」みたいな書き込みも在る。そう想う人は、もっと多くいる。そして発病とネットデビューが同時になり、まずインターネットの使い方がわからない、入力の仕方がわからない人もいる。私としては目眩がするような世界ですが、とにかく少しずつ整理します。時間はかかると思いますが、どうか気長に待ってくださいまし。間に合わない、切羽詰まっている人のために「けいじばん」があります。

インターネットスマホ世代も増え続け、古いホームページの発想で、掲示板に洒落た題名などつけると、それがけいじばんだとわからない人もいて、出来ればもう少し、インターネットとPCの使い方を覚えてから、とは思います。以前に、「ひらがな入力の仕方を教えて」という人もいました。退職してからネットデビュー、退職して田舎に引っ越し自治会デビュー世代から、なんでもスマホ、いつも片手にスマホの若者までいるのでした。

「育児の話はしたくない」「同世代の友だちが欲しい」スマホ系と、病気だけれど育児と家事と親の介護に追われている人では会話は難しいかと思いました。

ハピネス

 2010年頃に発表された本、『ハピネス』桐野夏生・著を読んだのは数年前でした。白内障は進み、頁を捲る手は痛いのに、つい。ただねたきりをして暇ってこともなく、何かしていた方が気が紛れるのです。
 舞台は、豊洲と想われるタワーマンション。詳しいネーミングはすべて忘れたのですが、東ABC某、西ABC某、と何棟も、土のない空間がある。位置、向き、高さで、住む人の階級が別れる。高収入の人かどうか、住むタワーのスペースで他人にしっかりわかる世界でした。
 主人公は、ランクが下の位置にいる住人。そもそもが、豊洲タワーマンションらしき世界にいること自体、庶民には特異な人に見える。狭くて深い、そしてたかぁぁぁいスペース争い、「結界師」の結界か、「ワールドトリガー」の異空間、「進撃の巨人」の壁の中みたい。
 そこには「ママとも」なるカテゴリがあり、マンションの公園がある。お互いを○○ママ、と呼び合う、土岐川祐だったら、「ヒロママ」です。そしてその頃の流行ネーミング、キラキラで読めない当て字の名前がついている。読者は、○○ママと書かれていても、「誰だっけ」とおもうだけ。何故覚えられないかというと、ママだから。
 人の名前や人格は無くて、キラキラネームだけなのでわからないのでした。キラキラでかまわないけれど、主人公の子供を含め全員の子供がキラキラしていると、わかんないものなのです。でも、本の中で、ママ達は、夫の見栄えや収入、公園へ行くときのおやつを手作り、子供達の会話に出てくるので、朝食は手をかけて作らなければならない。リーダー格の○○ママのさりげないファッションにあこがれている。主人公は夫と離婚申請中、でも、専業主婦でいたいし、夫の仕送りが無いとタワーマンションに居続けられない。

 あぁ、苦しいわ。私だったらとっとと出て行くわ。本の中のママ達は私の気持ちも知らずに、手作りクッキーやブランドベビーカー、一流幼稚園への入園、と、次々に金のかかりそうな話が延々と・・・
 私は勝手にネタバレしたい人なので、結末は、あこがれていたリーダー格ママは実家に戻り、「公園要員」だった主人公の友だちは、タワーマンションのイケメンと不倫、主人公は海外出張の夫と和解し、タワーマンションに住んだまま、働きに出ます。

 公園要員だったふたりが、一番自由になれたし、同じ公園要員だった友は、寿司チェーン店社長の娘で、実質的にはママ友の中で一番お金持ち。

 「ステイタス」という結界の中で、結界の人に出ようとするママは、ヒヨドリの卵のようでした。守られている。タワーの中でも一番のところに住んでいる。手作りのクッキーとキラキラ子供・・・マジですか。

 現実には、この本の頃より今の方が、貧乏くさい世の中?になっていて、ママ友の女王を目指すようなめんどくさい女は、はっきり言って無視されそう。

 朝ご飯なんぞ、何か食べれば良いのであって、「手作り」なんぞまずいだけ。見栄えのする職業のイケメン夫なんぞ、すぐ他の女に獲られるし、年月が経てば、禿げて出っ腹の中年、自分も世間知らずのタワーマンションババアだぜ・・・

 って、本の中で言い切るママがいないのが怖かった。逆ブロレタリア、いやいや、ブルジョアごっこホラー

https://tokigawahiro.hatenablog.com/

昨日の診察

 過去ログの移動をしながら、過去八年分を読むと、いろいろな薬があり、様々な治療法があるのだと痛感します。何を飲んでも効果が無いひと、特定の薬にリスクがあると否定するひと、西洋医学から和漢まで。私は今日、通院の日でした。三ヶ月ほど前から、整形外科の先生の紹介でお隣にある別の個人クリニック(心療内科)も行っています。「不眠」は脊椎関節炎関係には大きな病状だと思うけれど、整形外科で不眠の薬を求めることは出来なかったのです。外科医師ではわからないそうで。

 電脳世界では、ベンゾジアゼピン、というお薬に対して、過大な批判があり、署名運動もあります。私も「デパス」「マイスリー」を服用しています。デパスは脊椎関節炎などの難病では「こわばり」「痛み」を和らげ、主に頓服です。「マイスリー」は寝付きを良くする薬で、「ベンゾ系」とは言われていませんが、「構造分子」は同じで、心療内科医では「同じ扱い」だそうです。私は「デパス」を飲むことに強い抵抗を感じ、減らしたい、それだけを心療内科では訴えました。

 「デパス」は脳内のギャバに働き、恐怖を和らげ、また、心の作用が体に出る人に良く効く、と昔、精神科医に聞いたことがあります。厚労省で「依存」する薬を減らすお達しが出ていて、私の住む岐阜県などは、もうどこへ行っても滅多に手に入りません。岐阜県は人口が少なく、さらに山間部の私は予算のほとんど無い市町村。お役所の指示はすぐ反映します。でも、デパスは自力で突然やめることは出来ません。代替えのお薬を服用してから、少しずつ、長い期間をかけ、依存のない薬にしていきます。

 心療内科の先生は、「デパスは今の病気を抑えてくれるので、まず、マイスリーをやめましょう。」と言いました。デパスだけが減らす対象ではなかったのです。依存症にならない抗鬱剤の「副作用」が眠くなるので、それを利用し、飲む時間と量を自分で調節しつつ、やはり依存性のない「睡眠時間をのばす薬」をあわせます。まだベンゾ系自体を少なくするまでには行かないのですが、個人で効果が違うのか、やはりネット住民に嫌われているトラムセットの数が減りました。でも、トラムセットは今のまま整形外科でもらって、余っても、頓服用に持っていることになりました。

 「抗精神薬」「ベンゾ系」というと、岐阜県山間部ではそれだけで診てもらえません。強直性脊椎炎も門前払いです。「医師がいない」状態で、婦人科も撤退していきます。ただ否定すれば良いのではない。自分で考えつつ、無理なことはしない。そして興奮するとどんな強い薬も効かないそうです。他人の言葉に左右されず、医師を自分で選び、投げ出さないで考える。むつかしいことですが、たいせつなことです。

難病キャラバンけいじばん、より